古くて 弱くなった布に 新しくて 強い布を 当てれば、 古い布は 破れてしまいます。 新しいぶどう酒は 発酵し続け膨らみます。弾力性のある 新しい革袋に入れなければ 古い革袋では破れてしまいます。 マルコは、イエス様の柔らかさと新しさを伝えようとしたのでしょう。
東京北キリスト教会は、新しい会堂「新たな革袋」が 与えられます。そして新しい地で 「多文化共生、居場所づくり」という明確な目的を与えられて新たな宣教をスタートします。勿論、はじめから自分たちだけで完璧にできなくても大丈夫です。出会いと経験の中で教会は変えられ成長していくからです。新しいのは革袋だけではなく、中の葡萄酒である私たちが、柔らかく柔軟な革袋をいただき熟成されていくのです。
コロナ以前には想像しなかった日常があり、新しい形の礼拝を守っています。このことをどのように受け止め、変化する社会の中で、この時代、教会はどのように宣教を行っていくのか。教会とは、宣教とは、個々の信仰とは、常に問い、問われ続けていくことでしょう。それは教会にとって恵み、楽しみ喜びであり、時には、固定観念や常識、「当然」が覆される苦しさも味わうと決まると思います。それでも一人ひとりが、柔らかく、出会いや経験を受け止め、新たにされつつ応答していくことは、イエスご自身をあかしし指し示していくことに繋がる。そのような希望を持っていきたいと思います。
イエス様ご自身がいつも「新しい革袋」となって私たちを柔らかく包み込み守ってくださっているからです。固定観念や常識からみれば、不安、無理と思う時にも「そこをなんとか」 と、神さまに願い祈り続け、新たな知恵と道が開かれていきますように。神さまの忍耐と愛、柔らかさをいただき、新たな希望・ヴィジョンを常に探し見いだし実践していくことができますように。イエス・キリストをともに証ししていくことができますように。 〔米本裕見子〕