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日本バプテスト連盟 東京北キリスト教会は、イエス・キリストを主と告白する者たちの群れです。それぞれの場で主と出会った私たちが、ひとつに集められ、ここに教会を形成します。私たちは互いの信仰をわかちあい、この教会の基礎として言いあらわします。

聖書

聖書、旧約39巻・新約27巻は、神の働きかけによって、信仰の先達が書きつづったもので、イエスが私たちの救い主、キリストであることを証言している書物です。聖書こそが私たちの信仰の唯一の規範であり、教会の基盤です。

三位一体の神

私たちの信じる神は、何もないところから世界を創造された方です。神はすべての源であり、神によらずできたものは何ひとつありません。神は、すべてを知り、すべてを支配しておられる義なる方です。そして、私たちひとりひとりを知っておられ、愛をもって交わりを求められる方です。神は聖霊を通して私たちに働きかけられます。私たちは、神の霊である聖霊によって、神と出会い、神を知り、イエス・キリストを主と告白することが許されるのです。天の父として、神の子イエスとして、助け主である聖霊として、神は、今も昔も将来も世界に働きかけておられます。

イエス・キリスト

神がすべての人を心から愛しておられることを、私たちは、神のひとり子イエスの生涯を通して知らされました。イエスは、聖霊によってマリアより生まれ、人々に神の国のおとずれを宣べ伝えながら、社会に疎外されていた人々とともに、十字架の死に至るまで生き抜かれました。神はこの方を死の中に捨てておかれず、三日目によみがえらされました。イエスの死は私たちのための死であり、よみがえりは私たちに対する神の愛のしるしです。この出来事によって、私たちは、罪とその結果である死から解放されました。イエスの生涯は、神とともにある新しい生き方の最初の姿です。私たちは、彼を通して神との交わりに招かれています。このイエスこそ神の子、救い主、キリストです。

救い

私たちは、イエスの十字架の死と復活を知るまで、神と人とに対する本当の愛を知らない者でした。これが、私たちの罪です。しかし、イエス・キリストによって、私たちは、そのままの姿で母親に抱きとられる幼子のように、神に赦され愛されていることを知りました。この事実を受け入れることによって、生きる希望をあたえられ、神とともに歩むことが許されました。

教会

私たちは、教会を通して神との交わりに招かれました。教会は、世界の中で神とともに働くために呼び集められた者の集まりです。私たちは、ひとりひとりが等しく神に招かれた者であること、ひとりひとりにさまざまな神の働きが託されていることを信じます。私たちは、罪を悔い改めてイエスを主と告白し、十字架の死と復活を象徴するバプテスマを受けて、ともに教会を形成します。バプテスマは、聖書に基づき、全身を水に浸す浸礼のかたちをとります。私たちはまた、イエスが私たちのために十字架にかかり死んでくださったことを覚え、記念として主の晩餐を守ります。主の晩餐につらなる私たちは、教会がイエスによって招かれ、イエスを頭として立てられていることを思い起こすのです。バプテスマと主の晩餐を、私たちは、教会に託された礼典として大切に守ります。教会は、互いに祈りあい、神の福音を語り、神の働きを担う者の群れです。そして、ひとつひとつの教会は、自らの意志で神の前に等しく働きを担い、協力しあいます。

主の日

イエスは、十字架の死のあと三日目によみがえられました。その日は週の初めの日、日曜日でした。イエスの復活によって神との交わりの中に救い出された私たちは、この日を主の日と呼び、教会でともに賛美と礼拝を神に捧げる日として守ります。

社会との関わり

イエスは、社会の中で弱い立場におかれていた人々とともに歩まれました。私たちも人々の中で生活し、神からのメッセージをともに受けたいと願います。私たちは社会の中に生き、社会の中で神を証しする者です。イエスが出会いを通してメッセージを語られたように、私たちもひとりひとりの人格を大切にします。ですから、個人の信仰に国家が干渉することには反対します。私たちは、国家が主の前に過ちを犯さないよう、常に目を注ぎつつ、その指導者のために祈ります。

永遠の命と終末

イエスの十字架の死と復活は、神の愛が死をも超えたものであることを示すメッセージです。神と私たちの交わりは、肉体の死をもって終わるものではないと信じます。私たちは神とともにある永遠へと招かれているのです。イエスが再び世にこられるとき、世に生きたすべての人が神のもとに呼び出され審きを受けます。人の苦悩はぬぐい去られ、あらゆる矛盾は解消され、神の支配が完成します。このようにしてイエスの招きが完成するとき、私たちの教会の働きも完了するのです。