フィリピは、第2回伝道旅行でパウロが訪問した町でした。そこでリディアという商人と出会い、彼女と彼女の家族が最初にバプテスマを受けて、教会が始まりました。パウロたちはフィリピを短期間で去らなければなりませんでしたが、教会とは親密な関係が続いていたようです。
今日の箇所では、割礼や律法を守ることによって完全なものとなると考えるユダヤ主義的キリスト者たちがフィリピの教会にやってきて、人々を惑わすことを心配しています。パウロはこのように言います。「わたしはこう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。」
パウロは律法を守るという行いでは人は救われない、ただ、イエス・キリストへの信仰によってのみ救われるということを宣べ伝えていました。熱心なファリサイ派であったパウロは、自分自身律法を守ることに熱心でしたが、律法を完全に守ることはできないことを自ら経験して知っていたのです。それゆえ、イエス・キリストへの信仰によって救われるということは、パウロにとってとても大きな恵みでした。その恵みを無にしてしまう他の教えに、フィリピの教会の人々が惑わされることを、心配して手紙を記したのです。
パウロの語る「知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように」という言葉は、現代を生きる私たちにとってもとても大切な言葉です。この世界は複雑で、本当に重要なことを見分けるというのは、簡単なことではありません。しかし、私たちが自分たちの、また共に生きる他者の命を大切にしていくためには、考え悩み、時には嘆き悲しみ、怒りながら、知る力、見分ける力を身に着けていかなければならないでしょう。それは愛と呼ぶことができるでしょう。私たちだけの力ではなしえないことも、共にいてくださる神さまが力を貸してくださり、わたしたちの愛を豊かにしてくださることに信頼したいと思います。 〔細井留美〕