彼女は12年間出血が止まらず、多くの医者に全財産を使い果たしましたが、誰にも治してもらえず、絶望していました。しかし、彼女はイエスの噂を聞き、「もしかしたら癒されるかもしれない」という最後の望みをかけてイエスに近づきます。彼女の心の中では、「ただ触れるだけで癒される」という強い信仰があって、そしてその瞬間、病は癒されました。
ところが、この女性はイエスの前に呼び出されることとなりました。彼女は全てをさらけ出し、自分が癒やされた経緯を皆の前で告白しました。すると、主イエスはこの女性に対して「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」とおっしゃったのです。「彼女の信仰」とは彼女が長い間の深い苦しみの中で抱いていた、どこか欠けた、不完全で、もしかすると信仰と呼ぶには相応しくないものでした。彼女の信仰は、完全でなくても、主イエスに対する切実な願いと信頼が込められていました。その信仰こそが、彼女を癒し、救いへと導いたのです。彼女は肉体的に癒されたこと以上に、このみ言葉によって新たな命を与えられ、安心して生きていくことができる者となったのです。
今日の聖書の箇所は、私たちに決してあきらめないよう励ましています。どんな状況にあっても、主イエスへの望みと信仰を持ち続けることが大切です。あの女性のように、長い苦しみを経験しても、勇気を持って主イエスを追い求める姿勢を忘れずにいたいものです。主イエスを信じ、呼びかけるなら、必ず神は私たちに応えてくださいます。 〔宣教師 郭 修岩〕