2024年10月13日メッセージ「見えないものに信頼して生きる」コリントの信徒への手紙二 4章7~18節

「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます」とパウロは言います。キリスト者である私たちも、見えないものよりも、見えるものに信頼して生きていることが多いのではないでしょうか?「見えないものに信頼して生きること」について、ご一緒に考えたいと思います。
 パウロは語ります「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。」「土の器」とは、弱く限界のある人間のことです。「この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明かになるため」だとパウロは言います。「偉大な力」がどのようなものであるのかを、パウロは自分自身の経験から語ります。「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰らず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。」パウロは、宣教活動をする中で、投獄やむち打ち、暴動や空腹、不眠などのあらゆる艱難を経験しました。しかし、そのような目に合っても、決して「行き詰らず、失望せず、見捨てられず、滅ぼされない」ことを同時に経験したのです。そのことをイエスさまの受難と復活になぞらえています。あらゆる苦難の中にあって、イエスの復活の命が体現されるとパウロは言います。
 私たちは、パウロほど過酷な経験をすることはないかもしれませんが、自分の力ではどうにもできないことにぶち当たることがあるでしょう。そのような時に、神さまの力が働かれること、キリストの復活の命が現れると信じることは、私たちにとって大きな力になります。ただし、自分自身の力強さや優秀さ、すなわち知識や能力、権力や財力といった目に見えるものに頼ることを止めた時にはじめて、神さまの力は働くのだと思います。〔牧師 細井 留美〕                         

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