2024年12月8日メッセージ「その日を待ち望む」イザヤ書11章1~10節

 イザヤが活動した時代のユダは、大変混乱した時代でした。イザヤは、イスラエルの民の不正義を暴き、その根源には、神を蔑ろにする人々の傲慢さがあるとして、人々を糾弾しましたが、他方で、終末の日に、神が救い主を通して、人々に救いをもたらす希望を語りました。11章1節から5節では、やがて来られる指導者の姿が語られています。その新しい指導者の上には、主の霊が留まり、彼は弱い人のために正当な裁きを行い、貧しい人々を公平に弁護します。このイザヤのメシア預言は、イエス・キリストの登場によって実現しました。
 続く6節から9節では、新しい指導者の支配によって実現する平和を、人間と家畜と野獣の共存という形でイザヤは語ります。「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く。牛も熊もひとしく干し草を食らう。乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ、幼子は蝮の穴に手を入れる。」ここには、現実には目にすることのできない光景が描かれています。これは、終末の世界の姿の先取であると同時に、強者と弱者、異民族、異種族が共に生きる世界を私たちに指し示しています。 私たちの生きる世界は、ここに示されている世界とは、かけ離れています。しかし、イザヤが描いた人と動物が共存する平和の風景が、いつかこのような世界が実現する希望を私たちに与えてくれています。
イザヤは預言します。「その日がくれば、エッサイの根は、すべての民の旗印として立てられ、国々はそれを求めて集う。そのとどまるところは栄光に輝く」。その日とは、救い主が到来する日の事であり、イエス・キリストが再臨する終末のことでしょう。私たちはやがてキリストの生き方が人々の指針となり、すべての人々がそれを求め、神を畏れ、他者と共に生きるようになる平和な世界が実現することを信じて、その日を待ち望みつつ歩みたいと思います。                    〔細井留美〕                  

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