ヨハネ福音書15章でイエスさまは、ご自身を「ぶどうの木」、私たちをその「枝」とたとえられました。ぶどう栽培において、豊かな実りのために重要なのは、冬の休眠期に行われる剪定です。不要な枝を取り除き、栄養の行き渡る形へ整えるこの作業は、実りのためには欠かせません。神さまも同じように、私たちの内にある余分なもの、成長を妨げる部分を取り除き、より豊かな実を結ぶ者へと整えてくださいます。
イエスさまは「わたしにつながっていなければ、実を結ぶことはできない」と語られました。私たちが実を結ぶ条件は、先ずイエスさまにつながり、その愛と御言葉にとどまることです。イエスさまは十字架によって私たちを無条件に愛し、その愛に満たされるとき、私たちは御言葉に聞き従う者となります。愛にとどまることと、言葉にとどまることは切り離せず、そこにキリストとの一致が与えられます。
その実りとは、イエスさまの喜びが私たちのうちに満ちること、そして互いに愛し合うという行動として表れることです。イエスさまの思いと私たちの思いが一致するとき、祈りの願いも聞かれ、神さまの栄光が現れていきます。またイエスさまは、私たちを「僕」ではなく「友」と呼び、神の心を知らせてくださいました。さらに「あなたがたを選んだのはわたしだ」と語り、私たちが実を結ぶために任命してくださったのです。
私たちはキリストに選ばれ、愛され、招かれた者です。主の愛と御言葉にとどまるとき、私たちの内にあった不要なものが取り除かれ、主の望む実が育っていきます。互いに愛し合い、神の喜びを分かち合いながら歩むことこそ、キリストにつながる者の生き方です。〔牧師 細井留美〕