2024年5月26日メッセージ「聖霊は危機を用いる」使徒言行録1章8節、8章1~4節

 教会は、ペンテコステの日に起こった奇跡が示したように、多様な言葉、文化、民族の人々が集まる場所となりました。聖霊が、言語、文化、民族の壁を越えて働かれたことは一見すると素晴らしいことですが、それゆえに、教会は多種多様な方が集う不快な場所になりました。初代教会でそうであったように、聖霊が働かれ、教会を多様にしてくださっているからこそ、教会を変革してくださっているからこそ、私たちは不快さを覚えるのです。その不快さは聖霊が働かれている証拠なのです。私たちが、聖霊がもたらす不快さから逃げることなく、それでも自分と異なる人々と共に生きようとするとき、聖霊は私たちに知恵と愛とを与えてくださるのです。
 そう言っても、違う者同士が協力するというのは難しいことです、新約時代では、実際の協力は、危機を通してなされることが多いのです。使徒言行録においても、殺されそうになってエルサレムを逃げ出した人たちが、行く先々でイエス様のことを告げ広めて、教会がサマリヤ人、異邦人にまで拡大していったのは、危機があったからでした。危機によって教会はかえって成長していきました。危機を見て見ぬふりをするならば、私たちはこれまでと変わらず、不快さに耐えられず、境界線を越えられないのです。しかし、私たちが目の前の危機に真剣に目を向けるなら、たとえ「自分と違うもの」であっても聖霊によって受け入れ、謙遜に助けを求め、愛をもって助けるようになるでしょう。聖霊なる神は危機を用いて、教会を成熟させ、広げられるのです。     〔宣教師 郭 修岩〕                             

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