今日の聖書の箇所で、パウロは「あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」と語っています。「神の平和」は、一体何を意味するのか、どこにあるのでしょうか。
パウロが言っている「神の平和」は、どんな状況でも心の中に持つことができる安心感のことです。これは、神を信じることから生まれる心の安定や、神がいつも共にいるという確信から来るものです。つまり、この「平和」は、神との良い関係の中で与えられるものであり、全てを支配するイエスのもとにあります。キリストを信じ、神の支配を見据えて生きること、つまり神の平和の中で生きることは、私たちの人生そのものを意味し、日々の具体的な生活の中に根付いています。私たちが善い行いをすることでキリスト者になるのではなく、キリスト者だからこそ、キリストに支えられ、喜びと感謝の気持ちを持ちながら、日々の生活の中で信仰の実を結ぶことができるのです。「そうすれば、平和の神があなたがたと共におられる」とパウロは言います。
この神の平和を受け入れなければ、私たちの和解や争いを止める努力は表面的なものになってしまいます。神は私たちをただ見守っているわけではありません。私たちは常にキリストの十字架を通して神の意志を求め、神の平和に招かれているのです。戦争や争いが続く時代の中で、神に祈りつつ平和を創り出すために信じて歩んでいきましょう。〔宣教師 郭 修岩〕