メッセージ

2025年10月5日メッセージ「神の計らい、そしてヨセフの死」創世記50章15~26節

 ヤコブは死にました。兄弟だちはヨセフに人を介して父の言葉を伝えます。17節に「兄弟はお前に悪い事をした。だがどうかその背きの罪を赦してやってほしい」と言いました。兄弟たちは苦肉の策だったと思います。しかし、ヨセフは泣きました。ヨセフは兄たちにそのような要らない心配をさせて、苦しかったでしょうと思いであったのでしょう。そして、神の判断に任せて、私はあなた方を赦すと言いました。
 ヨセフは答えます。原語に充実な岩波訳では、20節に「あなたがたは私に対して、災いを企てましたが、じつは幸いをもたらすために神がこのことを企てられたのです」とあります。企て(計画)と言う同じ言葉を使って、人と神との差を浮き彫りにしています。神の企て(計画)とは、私たちの幸いのために私たちの反応によって修正する流動的なものです。決して私の人生が決まっていると言う意味ではありません。私たちの人生に置いても、神はご自分を信じている人々を、幸いに生きるようにして下さるのです。ヨセフは死を前に遺言を残します。24~25節で「神は必ずあなたがたを顧みて下さいます。その時には、私の骨をここから携えて上って下さい」と言いました。出エジプト記13:19節に、エジプトを脱出する時、モーセはヨセフのこの言葉を思い出しています。神の働きを信じて未知の世界に飛び込みました。
 神は私たちにとって幸いなものをご存じです。ただ心配することは、解決になりません。時には見えませんが、私の前後左右で共におられる神を信頼して、私たちの歩みを起こして行きたいと思います。   〔牧師 魯 孝錬〕

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