2022年3月6日メッセージ「命のパン、イエス」ヨハネによる福音書6章41~59節

パン5つと魚二匹によって満腹した群衆は、翌日イエスさまを探し求めます。イエスさまが預言者だから探し求めたのではなく、お腹いっぱい食べられることに期待して捜し求めました。イエスさまは言われます「わたしの父が天からまことのパンをお与えになる。その神のパンは、天から降ってきて、世に命を与えるものだ」。「そのパンをいつもわたしたちにください」と言う人々に、イエスさまは「わたしが命のパンである」「わたしが来たのは、神の御心を行うためであり、神の御心とは、子を見て信じる者が永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだ」と答えます。

人々は自分たちがよく知るイエスを、救い主として受け入れることができません。信仰は人々の知識や意志によって得られるのではなく、神さまによって起こされるものです。神さまによってイエスさまの元に引き寄せられ、イエスさまを救い主と信じる者は、すでに永遠の命を得ているのです。永遠の命とは、私たちが生きるために必要な命の飢えと渇きをいやしてくれるイエスさまのことです。

イエスさまはさらに言われます「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。」この言葉は、主の晩餐と同様に、ご自分の十字架の死を指し示しています。イエスさまの肉を食べ、イエスさまの血を飲むとは、イエスさまの死を、わたしたちのための死であることを自覚して生きることを意味するのでしょう。

イエスさまの十字架の死を、自分のためであると自覚する時、わたしたちはイエスさまと共に生きることになります。苦しみや困難を経験する時にも、その先にある復活という希望と共に生きることができるのです。                                                〔細井留美〕

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