2022年6月19日メッセージ「他者と共に生きる」ローマの信徒への手紙12章15節

わたしが大学で出会った池明観先生は、軍事政権によって抑圧されている韓国の民衆のために涙を流すと同時に、私たち学生一人ひとりの痛みにも寄り添ってくださる方であり、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」ということを体現されている方でした。それは、イエス・キリストの姿に重なります。イエスさまは、社会の中で虐げられて苦しむ人に寄り添い、憐みました。聖書の「憐れむ」は、自分の腸(はらわた)がちぎれるような痛みを感じるということであり、他者の痛みを自分の痛みとすることです。「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」というのは、他者の痛みを自分の痛みとすること、他者の喜びを自分の喜びとすることです。それは自分の中に他者を迎え入れることであり、それこそが他者と共に生きることではないかと思います。私たちの周りに目を向ける時、苦しんでいる人たちがいます。その人たちの痛みを自分の痛みとして自分の中に引き受け、共に生きようとすることを、神さまは望んでおられます。

今月23日は、沖縄県の「慰霊の日」です。沖縄戦によって住民の4人に一人が亡くなりました。在日米軍基地の7割が集中する沖縄では、米軍が関係する事件事故が後を断ちません。私たちは、安全保障を重んじる国家の立場ではなく、市民の立場から沖縄の人たちの苦悩に共感し、寄り添っていくことができるのではないでしょうか。 〔細井留美〕

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