「わたしの名のためにすべての人に憎まれ」(10:22 )、「兄弟が兄弟を、父が子を、子が親を」(10:21)迫害する状況の中に、マタイの教会の人々は置かれていました。不安と恐れの中で生活していた人々に、マタイはイエスさまの言葉「人々を恐れてはならない」と伝えます。
そして言われます「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」。ここで「魂」と訳されている言葉の原意は「息(プシュケー)」です。それは、「心」や「精神」とも違う、人を生きるものとした神さまの息のことで、人間の存在の根源に関わるものなのでしょう。人はそれを殺すことはできないとイエスさまは言われます。たとえ体を殺されても、その人の「神の息」は滅びないのです。これは、人の命が肉体が死んでも生きていても、神さまの支配の下にあるということでしょう。だから、人を恐れるな、神さまを畏れよ、と言われるのです。
29節以下の「二羽の雀が1アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」は、大きな励ましです。雀は当時もっとも安い食材でした。その一羽でさえ、直訳では「神なしに」地に落ちることはない、すなわち「神が共にある」というのです。いかなる時にも神さまはあなた方と共にいてくださる。だから、「恐れるな」とイエスさまは言われるのです。いつも私たちと共にいて、助けてくださる神さまに信頼して歩み、イエス・キリストの福音を宣べ伝えていくことができればと思います。
〔細井留美〕