2023年4月16日メッセージ「途方に暮れても失望せず」コリントの信徒への手紙二 4章7~15節

数々の苦しみ、迫害を受けつつ伝道したパウロの生涯を思えば8節〜9節の言葉に驚かされます。しかし彼はそういう大きな苦しみの中でも、行き詰まらない、失望しない、見捨てられない、滅ぼされない、と言っているのです。どうしてそのように言うことができたのでしょうか。

7節でパウロは、その宝と対比して自分を「土の器」にたとえます。「土の器」は、ここではパウロの使徒の務めに関する肉体と心のもろさや弱さであり、本来死ぬべき肉体を意味しています。この器は土から出来ているので、割れやすく、壊れやすく、もろい存在です。パウロは、マイナスのイメージをもつ「土の器」を、主であるイエス・キリストを宿す「土の器」として、プラスのイメージに変えたのです。パウロは、自分たちの苦しみを、主イエス・キリストの十字架の苦しみと死と重ね合わせ、私たちは主イエスの死にあずかり、主イエスと共に苦しんでいるのだと言っているのです。その苦しみと死は、父なる神が与えて下さる復活と永遠の命へと繋がっていたのです。私たちも、主イエスに与えられた復活と永遠の命にあずかる者とされるのです。また、イエスの死を私たちの身に負って生きていくとき、自己が砕かれ、「土の器」とされていくことから始まります。そして自己が砕かれていくことの中で、わたしたちは、この「土の器」の中に隠された「宝」に目が開かれて行くのです。そして、そこから、「途方に暮れても失望せず」という確かな人生が導き出されて来るわけなのです。                〔郭 修岩〕

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