2022年4月17日メッセージ「すでに始まっている神の働き」ヨハネのよる福音書20章1~18節

日曜日の早朝、マグダラのマリアはイエスさまの墓へと向かいました。イエスさまの死から3日目、マリアはまだその出来事を受け止め切れていなかったでしょう。ところが、マリアが目撃したのは、空の墓でした。動揺したマリアは、シモン・ペトロともう一人の弟子のところへ走って行き、自分が見たことを伝えます。そして、二人も空の墓を目撃しますが、イエスさまが復活されたことには気づかずに、家に戻ります。マリアは墓の外に立ったまま、泣いていました。マリアもイエスさまの遺体が無いことに捉われていて、復活に気づいていませんでした。マリアが後ろを振り向くと、そこにはイエスさまが立っておられました。しかし、マリアにはそれがイエスさまであることが分かりませんでした。イエスさまの死や、遺体が消えてしまった悲しみに捉えられていて、目の前に現れたイエスさまに気づかなかったのです。神さまは弟子たちが気持ちを整理する間もないくらい、早急にイエスさまを復活させられたのです。私たちが気がつかない内に、悲しみと絶望の只中で、神さまの救いと希望は始まっています。

イエスさまに気がついたマリアはイエスさまにすがりつきます。しか、「わたしにすがりつくのはやめなさい」とイエスさまは言います。復活したイエスさまはずっと弟子たちと共にいることはできません。だから、弟子たちは自分たちの足で歩んでいく必要があるのです。そのために、復活から励ましを受け取って、悲しみや絶望の中から立ち上がるようにイエスさまは促すのです。

イエスさまから働きを託されたマリアは、立ち上がり弟子たちのところに出かけて行き、「わたしは主を見ました」とイエスの復活を証言しました。マリアは、復活のイエスさまと出会って悲しみから立ち上がり、一人の伝道者として自分の足で歩み出したのです。         〔細井留美〕

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