2023年3月19日メッセージ「主を尋ね求めよ」イザヤ書55章6~11節

イザヤ書55章6節には「尋ね求めよ」「呼び求めよ」と命令形の畳みかけるような使用により、事柄の緊迫性が高められます。バビロンには神殿がありません。それゆえ、神が「近くにいます」という実感を持つことができないとイスラエルの民は思っていたのです。主の近さは、物理的な距離、限界の問題ではありません。主の言葉、その呼びかけに聞き、応答するということで、イスラエルの民は主と遠い関係で生きていました。作者は7節には2回「主に立ち返る」と呼びかけました。今この時に主を尋ね求め、自分の道を捨て去って主に立ち返るさえすれば良いのです。

なぜなら、神の思い、神の道は、私たちの想像をはるかに超えたからです。イスラエルの民にしても、私たちにしても、信仰生活を振り返ると、「決して自分が思ったとおりではなかった。かなり違っていた」ということが多いのではないでしょうか。しかし、私たちを懐疑、絶望、疲労感、無力から立ち上がらせるのは、そのような状態にあっても、なお、語りかけ、その状況を変えることのできる主の言葉です。私たちの救いの確かさは、私たちの信仰の弱さ、強さに依存するものでありません。語られる主の確かさ、その言葉の確かさに基づくのです。だから、「主を尋ね求めよ」というこの預言者の言葉に耳を傾けることが大切です。主に耳を傾け、主の言葉を信じ、そこに委ねる人を通し、主は、その望むところを果たされる方です。「主を尋ね求めよ」「呼び求めよ」と、主は現在私たちにも同じ言葉をかけてくださっています。                〔郭修岩〕

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