コリントの信徒への手紙で、パウロは教会を支える賜物を次々に上げていきますが、もっと大きな賜物を受け取るように勧めます。それは、「愛」です。
異言を語ること、預言すること、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていること、全財産を貧しい人々のために使い尽くすこと、わが身を死に引き渡すこと、これらは、どれも人から賞賛を受けるような事柄です。しかし、もしもそこに愛がなければ何の価値もないとパウロは言い切ります。そして、パウロは言います。「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず。高ぶらない。礼を失せず。自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」(13:1-4)
パウロの言う愛は、地味で、目立たないものです。自分を優位に見せるものとは逆であり、むしろ負け組、損してるように見えることを、愛だと言うのです。これを愛という理由は、これらがイエス・キリストの生き方であったからでしょう。イエスさまこそ、もっとも忍耐強く、またご自身をもっとも低いところ(十字架で処刑される罪人)にまで置かれた方です。しかも、イエスさまが神の子であることはごく一部の人たちにしか明かにされておらず、大抵の人々から見たら負け組であり、損する生き方そのものでした。
しかし、パウロは「愛は決して滅びない」と言います。人々から嘲笑を受けながら死んだイエスさまを、神さまはそのままにはせず、死んだ日から3日目の朝に、復活させられたのです。愛を行うことは、人々から評価されなかったとしても、神さまがそれを評価してくださるのです。日々の歩みの中で、この愛が私たちの中に根を張ることを共に祈っていきましょう。 〔細井留美〕