民数記は、モーセに率いられて、奴隷とされていたエジプトを脱出したイスラエルの民が、神さまが彼らに与えると約束して下さっていたカナンの地に向かって荒れ野を旅していく様子を描いています。それもまた、神のみ国に向かう私たちの旅の縮図であるとも言えるでしょう。
本日の箇所に語られているのは、その荒れ野の旅の中で、飲み水が無くなってしまい、人々がモーセに不平不満を言ったということです。今までの恵みを思わず、感謝をせず、かえって不平不満ばかりを言ったのです。それも私たちの時々の姿なのではないでしょうか。イスラエルの民も私たちも何度も神さまを裏切ましたが、しかし主なる神は、その都度彼らを赦して下さり、水や食べ物を与えて養い続けて来られたのです。
しかも、モーセは神さまのみ言葉に聞き従わずに、過去の体験に基づいて行動したため主のご命令に背くことになってしまい、カナンの地に入れないと宣告されました。神さまのみ言葉に聞き従うことが私たちの信仰ですが、そのことは、神さまがその都度新たに与えて下さるみ言葉に、常に新しく聞き従っていく、行動していくということによってこそできる、ということをこの話は教えています。つまり新しいみ業を受け入れ、それに従っていくことこそ、主に従って生きる私たちの信仰です。そして、大切なことは神の恵みのみ業が継続しているということです。主はそのみ業をこれからも新しく前進させていって下さいます。み言葉によって新しくされつつ2024年の神さまのみ業を体験していきたいのです。 〔宣教師 郭 修岩〕