2023年3月5日メッセージ「救いとは何か」ルカによる福音書13章1~21節

改めて、これまでの祈りと支援を感謝いたします。この11章から12章にかけて彼らの「偽善」についてイエス様は語りました。そんな中で登場する、今日の箇所の前振りとでもいうような箇所が、4節~7節の「恐るべき者」です。自分たちが権威付けをしていくあらゆる情報、思想、常識や価値観などよりも本当に恐るべきは、それ以上に何かをできる権威を持っている方を恐れなさい。という語りかけです。本当に恐れるべきは何か?これを分かっているかいないかで、愚かな道を行くのか、そうでないのか分かれ道であります。13節からは、群集の一人の声が発端となります。結局は何も変わっていない、そんな兄弟だったのかもしれません。しかし、イエス様の反応は、声を発した人の期待したものではありませんでした。願いは、まさにその人の兄弟と同じ願い・行動に過ぎません。ああいうのは良くない、と言いながら本質的には同じことを見事にやろうとしているのです。

金持ちの譬えが16節から始まりますが、皮肉にも悩みから始まります。「どうしよう。作物をしまっておく場所がない」。しかし、その安心の根拠は実際には安心をもたらしません。それどころか、それ以上に聖書では「それが何の意味もない」という「本当のこと」に言及します。わたしたちが本当に「思い悩むべき事」とは何でしょうか?「恐れるな。」(7節)ともおっしゃっています。イエス様のお話を聞いて、学び、考えて、新しくされる道があるから大丈夫だ、と仰っているのです。「思い悩み」が無くなる、減るから安心なのではなく、「思い悩むべき事」が整理されるから安心なのです。 〔奥田悟〕

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