2024年7月21日メッセージ「新しいことはいつも信じられないほど奇妙」ヨハネによる福音書12章1~18節

 今日の聖書の箇所でも、弟子たちの認識や考え方を覆すような新しい出来事が起こりました。マリヤは非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、また自分の髪でその足をぬぐったのです。一デナリオンは当時の一人の人の一日分の賃金ですから、一人の人のほぼ年収に相当する高価なものです。そのため、マリアがこのナルドの香油をすべてイエスに注いだということは、自分の現在も、未来も、すべてをイエスにささげたのです。それはマリアにとって、イエスがすべてであったからです。マリアの行為は、ユダに批判されました。
私たちが主イエスを救い主と信じ、主イエスに自分自身を献げて行う信仰と献身の行為は、実際には非常に不完全なものです。いくらでも批判される余地があり、「それが何の役に立つのか」と言われることもあります。それでも、主イエスは「この人のするままにさせておきなさい」とおっしゃって、私たちの不完全な信仰と献身を受け入れてくださいます。
そして、マリアの行為を主イエスは、「わたしの葬りの日のため」の備えとして受け止めてくださったのです。主イエスはマリアの信仰と献身を、彼女自身の思いを超えて、ご自分の十字架の死によって実現する救いのための備えとして受け止めてくださったのです。
マリアのように、私たちの献身や奉仕は、まことにつたなく不十分なものかもしれませんが、主イエスは私たちを愛してくださり、私たちの献身や奉仕を喜んで受け入れ、それをご自分の十字架の死による救いに仕えるものとして生かしてくださるのです。      〔宣教師 郭 修岩〕                                                   

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