2024年8月4日メッセージ「キリスト者とよばれた」使徒言行録11章19~26節

 教会の初期、ユダヤ人の中にキリストに従う人がいました。自分たちはユダヤ教の中の一分派として歩もうとしました。しかし、聖霊の働きは違っていました。ステファノが殉教してから、キリスト者に対する迫害が始まりました。人々は各地域に散らされて行きます。ところが、キプロス島やキレネからきた人がアンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも伝道をしました。
 主の御手が、あるいは聖霊が、共にある事は目には見えません。しかし、共に主に祈る、または聖書を共に読む、その言葉を黙想する事を通して分かることがあります。アンティオキアの話がエルサレム教会に伝わりました。エルサレム教会は、自分たちがユダヤ教の中で、一分派として残る事を考えていました。バルナバがアンティオキア教会に派遣され、その様子を注意深く見ました。そして、主の御手が、あるいは聖霊が、共にある事を告白しています。共に主に祈る、あるいは聖書を共に読む、その言葉を黙想する事を通して分かる、あるいは理解する、受け入れるようになります。アンティオキア教会は聖霊によって立てられ、サウロと言う協力者が与えられました。ここで初めて、信者たちは、「キリストに属する者」と呼ばれるようになりました。ユダヤ人の考えを超えて、全く新しい教会が始まったのです。
 今を生きている私たちも、少し違うけれども、苦難に苦しんだり喜びに躍ります。大事なことは、キリストに属する者である事です。聖霊の働きを信じることです。神の愛を信じる事です  〔牧師 魯 孝錬〕                            

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