メッセージ

2026年5月3日メッセージ「ベトザタの池での癒し」ヨハネによる福音書5章1~18節

 イエスは、38年も病気で苦しんでいる人を見て、「良くなりたいか」と聞きました。その人は自分の病気が治らないのは人のせいだと思いました。イエスはその人を見て「起きて、床を担いで歩きなさい」と言われ、その人はすぐに良くなりました。私たちの姿もこの人に似ているかも知れません。イエスは私たちの方を見ているのに、私たちは目の前の状況ばかり見ています。
 イエスが病者を治した日は安息日でした。安息日にイエスが病者を治し、病者が床を担ぐ事が問題とされます。ユダヤ人たちは、創世記2:2−3と出エジプト記20章から、七日目を休む事と安息日を聖別せよと、この二つを徹底的に守っていました。その後、イエスはその人に出会って、主の道を外すなと言われました。私たちも毎日の生活でイエスを試したり、裏切る事をしているのではないでしょうか。
 ユダヤ人たちは、安息日には休むべきだと主張しました。しかし、イエスは、17節に、「私の父は今もなお働いておられる。だから私も働くのだ」と言われます。ユダヤ人たちはイエスが神を「私の父」と呼ばれた点に、どうして人間が神を「私の父」と呼ぶ事ができるのかと思いました。イエスは新しく律法を解釈しようとしましたが、ユダヤ人たちは、自分たちの律法解釈が正しいと思いました。
 イエスは私たちを良く知って、見てくださいます。また、私たちは時にユダヤ人たちのように、頑な心を持つ時があります。どうかイエスが私たちを導いて下さって、お互いを認め合って行く事ができますように。〔牧師 魯 孝錬〕           

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