2024年9月8日メッセージ「神の正義を待ち望む」イザヤ書61章1~3節

 8月末に韓国済州島に行き、四三事件の現場やセウォル号記憶館を訪れました。四三事件では、祖国の統一した独立を求めた島民が、米軍政と李承晩政権によって虐殺され、長い間沈黙を強いられてきました。セウォル号事故では、命よりも利益を優先した企業と形骸化した当局の体制によって多くの若い命が失われました。どちらの犠牲者も人間の罪深さや欲深さのための犠牲者です。彼らのためにいつか真相が究明され、正しい裁きが行われることを願わずにはいられませんでした。たとえそれが人の手によって行われなかったとしても、いつか神が正しい裁きを行ってくださることを私たちは知っています。
 イザヤ書61章にも虐げられた人々の姿があります。神さまは、貧しい人々に良い知らせを伝えさせるために、打ち砕かれた心を包み、囚われ人に自由を、つながれている人に解放を伝えるために、預言者を遣わされます。主が恵みをお与えになる年、わたしたちの神が報復される日を知らせ、嘆いている人々を慰め、嘆いている人々に灰に代えて冠をかぶらせ、嘆きに代えて喜びの香油をそそぎ、暗い心に代えて賛美の衣をまとわせてくださいます。彼らは打ち砕かれ、捕らわれ、つながれてきましたが、神によって正しい裁きが行われ、その神の正しい裁きの故に、彼らは正義の樫の木と呼ばれるようになるのです。
 私たちの生きる社会や世界の中には不正義があふれています。ですが、この世界の不正義は、いつか必ず神が正してくださると聖書に記されています。そのことに信頼して歩むならば、わたしたちは正しい裁きを諦めずに、求め続けていくことができるのではないかと思います。〔牧師 細井留美〕    

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