フィリピの信徒への手紙は、使徒パウロが獄中から書き送った手紙です。今日の聖書箇所で、パウロは思いを一つにして歩むようにと人々に勧めます。教会の中で、人々が心を一つにできない出来事があったからです。
パウロは、自分中心ではなく、謙遜な気持ちで、相手を大切にしなさい、なぜなら、救い主であるイエス・キリストがそうされたからだと言い、キリスト賛歌(讃美歌)を引用します。その内容は、キリストは、神と同じ存在であったが、そのことに固執せずに、自分を無にして、仕える者として、人間となられ、自分を低くして、十字架に架けられて殺されるほど、従順であった、だから、神さまはキリストを高く上げ、すべての名前にまさる名前、すなわち「神の子、救い主」という名前を与えられたというものです。
イエス・キリストが、神の身分を捨てられたのは、私たち人間のためであり、神の愛がどのようなものであるのかを、直接私たちに示すためです。十字架の死も神の愛を示すためであったのかもしれません。それは、私たち人間に対する究極の愛です。神はそのようなイエス・キリストを復活させられました。それは、イエスが神の子、救い主であることの証であると同時に、神と人間との和解の出来事でした。
キリストは、人間すなわち自分以外の他者のために生きられました。そして、その生き方が、復活によって神に肯定されたのです。わたしたちはこのキリストの愛に応えて生きる者になることができればと思います。教会はなぜ存在するのでしょうか?ドイツの神学者ボンヘッファーは「教会が教会であるのは、それが他者のために存在する時だ」と言いました。イエスさまによって救われた私たちは、イエスさまのように他者と共に生き、また他者と共に生きる教会となっていくことができればと思います。 〔牧師 細井 留美〕