メッセージ

2025年9月28日メッセージ「生きておられる主」列王記上17章1~24節

 私たちは科学技術が進んだ時代に生きています。便利さや物質的な豊かさは増しましたが、孤独や心の空虚さは深まっています。人は知らぬ間にお金や仕事、成功を「命の主」とし、それに縛られて疲れ果てています。この問いに、列王記上17章は鮮烈に「主は生きておられる」と宣言します。これは偽りの豊穣神バアルへの挑戦でした。エリヤの物語は、主こそ真の命の源であることを三つの出来事を通して示します。
 第一に、神に仕えるには「知恵と保護」が必要です。主はエリヤに「ケリテの川に身を隠せ」と命じられました。情熱だけでなく、休息と謙遜が不可欠です。燃え尽きないために、祈りと静まりの隠れ場で養われることが求められます。
 第二に、神の供給は人の想像を超えます。主は不潔とされたカラスや、死を待つ異邦人のやもめを用いてエリヤを養われました。これは主が国境や境遇を超える全地の主であり、私たちに日々の糧を信仰をもって受け取るよう教えています。
 第三に、神は死をも打ち破られます。女主人の息子は「息を引き取りました」。命の源は主にあることが強調されています。バアル崇拝者であった彼女も息子の死には無力でしたが、エリヤの祈りにより息子は生き返り、主が死に勝る方であることが証明されました。
 現代の「バアル」は、収入や名声、SNSの評価などの形で私たちを支配します。しかし、私たちの命は偽りの神々によるのではなく、主によって与えられています。私たちがする一呼吸ごとに、「主は命の主である」という真理が証しされています。この恵みの贈り物に気づき、神を体験し、与えられた命を力強く生き抜いていきましょう。                               〔宣教師 郭修岩〕 

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