メッセージ

2025年10月19日メッセージ「逆境の中でも揺るがない、神への畏敬」列王記上18章1~16節

 列王記上18章1〜16節には、偶像礼拝の時代にあっても神への畏敬を貫いたオバドヤの信仰が描かれています。彼は邪悪なアハブ王の宮廷で家宰として仕えながら、命がけで百人のヤハウェの預言者を洞穴に隠し、パンと水で養いました。表向きは王に仕えつつ、心では神に仕える「二重生活」を強いられた彼は、恐れよりも神への畏敬を選びました。飢饉の最中、雨と豊穣の神とされたバアルは何もできず、逆にヤハウェを畏れるオバドヤが命を支えました。これは、バアル信仰の無力さと神の支配の確かさを象徴しています。神は彼を高い地位に置き、その立場と資源を通してご自身の民を守られたのです。
オバドヤの働きは表舞台ではありませんでしたが、神の御心を進める上で欠かせないものでした。エリヤのように公に立つ者がいれば、オバドヤのように隠れて支える者もいる。神の国は、この両者によって成り立っています。現代にも、迫害下や信仰が理解されにくい職場などで、静かに神に仕える人々がいます。彼らはまさに現代のオバドヤです。
私たちもまた、それぞれの「狭間」に置かれています。信仰を貫くことが容易でない場所にあっても、神を畏れ、与えられた立場と賜物を用いて仕えるとき、神はその忠実を通して働かれます。オバドヤの生き方は、逆境の中でも揺るがない神への畏敬と忠実な奉仕の模範です。今日、私たちもまた、どんな環境にあっても「主を畏れる心」をもって仕え続けたいのです。 〔宣教師 郭 修岩〕

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