エレミヤが監禁され、国が滅亡の危機にある絶望の中で、主のことばが再び彼に臨みました。「わたしを呼べ。わたしはあなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる。」(33:3)
この招きは、困った時の祈り以上に、「全能の神にすべてを委ねよ」という深い呼びかけです。主は天地を創造し、今も世界を支え、ご自身の契約を決して破られない方です。その方が「わたしを呼べ」と言われる時、私たちの前に開かれる道は、人間の理解を超えています。
しかし神は、希望を語られる前に、まず罪の現実を示されました。ユダの民は契約を破り、偶像に走り、悔い改めを拒みました。その結果、荒廃が避けられないと語られたのです。
私たちも人生の崩壊や関係の破れの中で、自らの歩みを省みるよう促されます。闇の深さを知るときこそ、光のまばゆさが分かるからです。
それでも神は、「いやしと回復」を約束されました(6節)。ここで語られる回復とは、ただ元に戻るのではなく、新しい力がみなぎる完全な再生です。シャロームとはすべてがあるべき姿に整えられた深い平和が、神との関係の回復とともに与えられます。その土台は、私たちの努力ではなく、キリストによる完全な赦しです。
そして、回復された民は神の栄光を示す「喜ばしい証し」となります。私たちの歩みも同じです。癒やされ、立ち直った人生そのものが、誰かを励まし、神を指し示す光となります。
今日、神は私たちにも語られます。「わたしを呼べ。」絶望の中にも、神の希望は確かに存在します。この揺るがない希望を信じ、全能者である主を呼び求めましょう〔宣教師 郭 修岩〕