2021年10月3日メッセージ   「キリストの体である教会」  コリントの信徒への手紙一12章12~26節

 コリント教会には多種多様な人々が集まり、価値観や習慣の違い、社会的な身分の違いから、行き違いが日常的にあったことでしょう。パウロはそのことで大変苦労したと思いますが、多種多様な人々が教会にいることを神の意志として受け入れていました。
 パウロは教会を「体」にたとえます。ユダヤ人であってもギリシア人であっても、奴隷であっても自由人であっても、一つの霊によって、一つの体となるためにバプテスマを受け、一つの霊を飲ませてもらったとパウロは言います。神の霊によって、一つに結び合わされたのです。
 体、すなわち教会は、一つの部分ではなく、多くの部分からなっています。神が「ご自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれた」、つまり、神さまが教会に多様性を与えられたのです。多様な人々がいるからこそ教会は教会として成り立つのです。
 しかし、多くの部分があっても、体は一つです。要らない部分などひとつもなく、他よりも弱く見える部分がかえって必要です。弱く見える部分を守り、見劣りする部分を見栄えよくしようと互いに配慮しあうから、体は分裂せずに一つになるのです。
 わたしたちは皆、教会の体の一部分を担っています。一人一人が、神さまに造られ、神さまによって教会に導かれた、かけがえのない存在です。互いを尊重しあいながら、また共に苦しみと喜びを分かち合いながら、キリストの体としての教会を形作っていきましょう。                                 〔細井留美〕

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