アドベント第三主日を迎えました。ろうそくの炎が一つずつ増えるように、私たちはクリスマスの光へと近づいています。この主日に語られる「喜び」は、季節の高揚感ではなく、闇のただ中に差し込む神の光を見た者が知る、静かで確かな喜びです。
イザヤ書が語る預言は、戦争と支配、喪失と絶望に覆われた現実の中で告げられました。戦争によって、ガリラヤ地方は荒廃し、人々は捕囚と悲しみに沈んでいました。希望が見えず、「死の陰」に座す人々の上に、神は光を輝かせると約束されたのです。「闇の中を歩む民は、大いなる光を見た」。
その光とは何でしょうか。イザヤは具体的に語ります。「ひとりのみどりごが、わたしたちのために生まれた」。神は抽象的な希望ではなく、ひとりの幼子として、この世界に光を与えてくださいました。この預言は、クリスマスに主イエス・キリストの誕生によって成就しました。ザカリアが語ったように、「高い所からのあけぼのの光」が、暗闇と死の陰に座す者を照らしたのです。
私たちの世界もまた、多くの闇に覆われています。戦争、分断、不安、そして私たち自身の心の痛み。しかし、その闇のただ中にこそ、キリストは光として来られました。もう自分で光を作り出す必要はありません。光はすでに与えられています。
闇がどれほど深く見えても、キリストの光は闇に負けません。闇の中を歩むときも、死の陰の谷を行くときも、この光を見つめて歩みましょう。主イエス・キリストは、今も私たちを照らし、平和の道へと導いておられます。 〔宣教師 郭 修岩〕