新たなる望み
ローマの信徒への手紙 8:18-25
2006年12月31日
パウロは今「苦しみ」について語り、同時にきたるべき「希望」についても語っています。「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りない」(18節)ことを力説しています。
この「現されるはずの栄光」を思うとき、心は躍り、熱し、感激をもって歌うように、そしてうめくように書き綴っています。苦しんでいるのは人間だけではない。否むしろ人間の存在のゆえに、「被造物は虚無に服し」(20節)「滅びの隷属」(21節)に捕らわれているのです。
彼は人間と一般の被造物との関係を密接なものとして位置付けています。そして、両者共に「贖われる」(23節)必要があることを語っています。そのゆえに「神の子とされること・・・・を待ち望んでいる」(23節)ことによって「救われている」(24節)のです。
語り告げよ
ヨハネによる福音書 1:14-15
2006年12月24日
本日の聖句で神のひとり子たる「言」(ロゴス)が「肉」即ちイエスという人になり給うたのです。そして「わたしたちの間に宿られた」(14節)のです。
この出来事が起こったのが、二千年前のイスラエルの片田舎ベツレヘムでした。そこはダビデの出身地という、過去の栄誉はあったものの、人々に忘れられた小さくて貧しい街だったのです。
しかしマタイ福音書2章6節で「決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである」と言っています。その牧者こそヨハネ福音書1章14節で言う「イエス」なのです。
このイエスが今も私たちの中に住み、ある時は先立ち、またある時は共に歩み、背後にて押し出し支えて下さるのです。この喜びを、人々に語り伝えようではありませんか。
神に生かされる者
ヨハネによる福音書 1:12-13
2006年12月17日
古くから言われている「名は体を現す」という日本の言葉がありますが、この言葉はユダヤの思想と共通するところがあるように思います。
「その名を信じた人々」(12節)とあります言葉の意味するところは、ここで言う「その名」は神の子であり、「言」(1節)即ち「イエス」を指し示しています。
このことはゴルゴダの十字架に至る、イエスの生涯を通して語られた「イエス・キリスト」の「名」にふさわしい「名」といえるでしょう。
このような神との結びつきを造り出すために、人となり給うた方の「名」こそ私たちにとって掛け替えのない「名」なのです。
私たちが、血統や善行、苦行や欲求によって獲得できるものではなく、ただ「神によって生まれたのである」とあり、一方的に神の側からの恩寵によって与えられ、生かされているのです。
光と闇の戦い
ヨハネによる福音書 1:9-11
2006年12月10日
本日の聖句を「言」の所を「イエス」に置き換えて読んでみますと「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。イエスは世にあった。世はイエスによって成ったが、世はイエスを認めなかった。イエスは、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった」となります。
即ち、「その光」とは「イエス」のことであり、絶望に打ちひしがれている人々に、希望の光を特定の人々ではなく、「すべての人を照らす」と言っております。
「その光」即ち「イエス」が混乱しきった人の世に来て、人による救いではなく、神からの絶対的救いを齎すというのです。それはいつ崩壊するか分からない救い、約束ではなく、神の齎す救いであり、約束なのです。これ程の確かなものが他にあるでしょうか。受け入れない人々に主のご降誕をお知らせしましょう。
天の窓を開いて
ヨハネによる福音書 1:1-5
2006年12月3日
私たちは相対的な世界にいます。この世界ではいつも、較べることで一喜一憂しています。しかし、イエスは決して相対的な生き方をなさらないのです。聖書にはこのイエスに出会って生き生きとされていった人々が沢山記されています。
使徒言行録8章26~40節に登場する宦官は、彼の悲痛なまでの人生の中で出会ったイエスは、彼自身そのものに見えたのではないでしょうか。それにも関わらずイエスは人々の罪を荷っていかれたのです。
今日は「天の窓を開いて」と題して語らせて頂きましたが、この「天の窓」という言葉は安曇徳哉の書に「底の窓、横の窓、天の窓」という言葉があり、底の窓は自らを見つめる窓、横の窓は人の触れ合いを見る窓、そして天の窓はイエスを見上げる窓のことなのです。
天の窓を開いてイエスを見上げて歩んで参りましょう。
み言葉を宣べ伝えよ
テモテへの手紙二 4:1-8
2006年11月26日
「わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。わたしは戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです」というパウロはどれ程真剣に己を擲ってキリストに全てを捧げて福音宣教に務めて来たかが語られています。
更に使徒言行録20章24節で「主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません」と断言しております。
「折が良くても悪くても」ひたすらみ言葉を宣べ伝えたパウロの目はキリストの再臨の日「義の栄冠」を頂く日に注がれています。
み言葉に耳を閉ざしている人達に囲まれている私達は、「折が良くても悪くても」み言葉を宣べ伝えて、「義の栄冠」を目指して共に歩んで参りましょう。
悔い改めからの出発
使徒言行録 18:24-28
2006年11月19日
本日の聖句では、アポロという人物が登場しています。彼は「アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しい・・・雄弁家」とルカは紹介しています。しかし、彼の語る「神の道」は、バプテスマのヨハネの語るイエスの出現に先立つ行為にすぎなかったのです。
そこで、プリスキラとアキラは「彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した」のです。即ち、ヨハネが語った「来るべきメシアはイエスであることを証明したのです。
ここでアポロに求められることは「悔い改め」です。何故なら「イエスはキリストである」と告白するとき、そこには十字架を抜きにして語ることはあり得ず、十字架が我がためのものとなるとき「悔い改め」は不可欠なのです。
アポロはこの「悔い改め」により「イエスがキリストである」ことを語る福音の宣教者として、出発したのです。
祝福を受け継ぐ
ペトロの手紙一 3:8-12
2006年11月12日
教会にとって祝福することは、神から頂いた使命であり特権でもあります。ましてや幼い私たちの子供たちとなれば、祝福を贈らずにおれないのは当然でありましょう。
さて聖書には、私たちを「祝福を受け継ぐため」に召されたと記されています。このことは、この世における、様々な闘いの中であっても、平安に満ちたなかにあっても、同じように祝福するものであるように召されたのです。
教会は小さな課題においても努力を傾け、小さいもの弱いものに全き愛を注ぐ事の出来るようになることが使命なのです。この使命を完全に果たしえる教会となるべく祈り進むのです。
教会が祝福を贈る教会である限り、教会は神のみ旨のもとにあり祝福を受けることが出来るのです。祝福すること、それはまさに、教会の業の中で最も光栄ある業なのです。
初心に立ち返る
使徒言行録 18:18-23
2006年11月5日
本日の聖句の中で、特に目を引くのは「パウロは誓願を立てていたので、ケンクレヤで髪を切った」(18節)の句です。
何の誓願であったかは不明ですが、第2回伝道旅行から第3回伝道旅行に、新たな展望が開かれるように、というものであったとも考えられます。いずれにせよパウロにとって、このときは「初心に立ち返る」ときであったことは確かでありましょう。
そこで彼のしたことは、かつて伝道して建てた教会をこの時期に訪ね、語り伝えられた福音によって、教会が一つの体としてかしらなるキリストにおいて成長して行っていることを確認し証ししたかったのではないでしょうか。彼自身は、このことを「初心に立ち返る」べき時と位置づけて「髪を切った」のであろうと思われます。
私たちの立たされている場は「初心に立ち返る」暇もないほど目まぐるしい時と場ですが、大事な事として今一度見直して見たいと思います。
立ち向かう勇気
使徒言行録 18:12-17
2006年10月29日
今回はテサロニケのときと違って、宗教上の問題として訴えています。何故ならば、ユダヤ人のメシヤ待望はキリスト者のそれに劣らず、国家を危機に陥れかねないほどの問題だったのです。
そこで、ユダヤ人たちはキリスト者との調停を求め、ユダヤ教を安泰にすることを願って、着任したばかりという、ガリオンの立場を利用しようとしたのです。ところが、同時にそれは彼らがガリオンを知らないということでもあったのです。この出来事は、キリスト教が結果的に守護を受けることとなってユダヤ人たちは、表面的に行動を起こしにくくなったのです。
ここで注目したいことは、パウロたちにとって報復も弁明も一切必要なかったということです。ただ必要なことは「報復はわたしのすること、わたしが報復する」(ローマ12章19節)の言葉に委ねることです。
パウロはアテネにおける伝道の成果に、いささか意気消沈して、コリントに宣教の場を移したのでした。ところがそのコリントという街は彼をひと時も意気消沈させてはおかなかったのです。何故なら、この街は信仰的にも道徳的にも荒廃していたからです。
語り続けよ
使徒言行録 18:1-11
2006年10月22日
パウロはアテネにおける伝道の成果に、いささか意気消沈して、コリントに宣教の場を移したのでした。ところがそのコリントという街は彼をひと時も意気消沈させてはおかなかったのです。何故なら、この街は信仰的にも道徳的にも荒廃していたからです。
しかし、集会の場所としていたユダヤ人の集会所、シナゴグにおいて「メシアはイエスであると力強く証しした」(5節)ことから、集会所から追い出されることとなってしまいました。
度重なる行き詰まりにおじけづいていたとき、主は多くの人を信仰に導き、その中に会堂長クリスポを加えられ、更に「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる」(9、10節)と励ましてくださったのです。
私たちが恐れ惑うときも神は「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。」と語りかけられるのです。
知恵ある心(魯孝錬)
詩篇 90:1-17
2006年10月15日
本日は詩篇90篇を通して、「知恵ある心」とは何かについて考えてみたいと思います。この詩は神への讃美(1~3節)、人間のはかなさ(4~11節)、祈り(12~17節)と分けられます。
先ず、詩人は神さまが自分の砦、根源であり、自分を打ち砕かせるお方であることを讃美しています。次に、詩人は人間のはかなさを神さまの御怒りの中で発見しています。私たちは神さまの裁きと救いとのしるしであるイエス・キリストの十字架の前に立ってこそ、自分の罪を正しく見つめられるし、神さまの恵みが実感できます。最後に、詩人は神さまの働きと喜びとが自分の日々の生活の中で実現されることを切に祈っています。
「知恵ある心」とは、畏敬を持って神さまの前に立つ心です。そして神さまの御怒りの中から浮かび上がる自分の罪と、その罪をイエス・キリストを通して赦して下さった神さまの愛と恵みとを感じつつ、日々の歩みを歩んでいくことです。
一人のためにも
使徒言行録 17:32-34
2006年10月8日
パウロの説教を聞いた人々の中で、三種類の反応をした人たちがありました。
「ある者たちはあざ笑い」とあります。即ち、知的遊戯として刺激を楽しんだに過ぎなかった人たちです。
次には「この事については、いずれまた聞かせてもらう」と言って、パウロというユダヤ人が語るところの神と人との本来あるべき関係を直視しなければならないと気付きながらも、ギリシャ人という文化先進国のプライドによって決心を一日延ばしにしている人々です。
三番目に「彼(パウロ)に従って信仰に入った者も何人かいた。」と記されています。「あざ笑」ったり、プライドを前面に押し出す人々ばかりいる中で、信じ従っていくことは大変勇気を必要とすることです。
この「何人か」の中に挙げられた二人の人物は、後にキリスト教福音宣教に大きな働きをなしたのではないでしょうか。何故ならばルカが聖書に書き残したのですから。
神のみを神とする
使徒言行録 17:22-31
2006年10月1日
本日の聖句によりますと、アテネにはおびただしい神々が祭られていたようです。パウロはこの中の「知られざる神に」と記された祭壇があることに気付き、説教を始めました。
先ず、神は造られた方ではなく造り主であられますから、人間の造った宮などに住まわれることはないことを語っています。次に、神は歴史の主でもあられますから、万物を今日に至るまで支配しておられるのです。
また神が人を造られたのだから、人が本能的に神を求めることは必然なのです。更にキリストが十字架に架けられて、人の罪を赦されたことによって、今や求めさえすれば神を見出すことが出来るようにしてくださったのです。
そして最後に、キリストの救いの素晴らしさは、甦りの事実にあります。何故ならば、甦りの主イエス・キリストは私たちと共に今も歩み続けて下さっておられることを、知らされると語っています。
ただ真理を語る
使徒言行録 17:16-21
2006年9月24日
パウロはアテネでただ一人になっても、イエス・キリストの福音を語ることをやめるようなことはありませんでした。
アテネの街は最盛期を過ぎたとはいえ、まだまだ世界最大の国際都市で、世界中から学問の探究に人々が集まって来ていました。大きな広場には多くの人々が目新しい話題を求めて集まってあましたから、パウロが宣教の相手に事欠くことはありませんでした。
このアテネには、エピクロス派とストア派の二つの思想が体勢を占めていました。この両者の思想の交錯する中で、しかも、アレオパゴスの評議所という、国中から選び抜かれた人々の中にパウロはただ一人でした。しかし、彼は決して恐れたり尻込みしたりしませんでした。何故ならば、彼が語ろうとしていることは、キリストを証することであり、真理を語ることであったからです。
迫害による宣教の拡大
使徒言行録 17:10-15
2006年9月17日
「兄弟たちは、直ちに夜のうちにパウロとシラスをペレアにおくりだした」(10節)のも「パウロに付き添った人々は、彼をアテネまで連れて行った」(15節)のも迫害を逃れてでありました。
神が人間を愛し、先に預言者たちを通して、何千年もの間神のみ心を伝えようとしたにもかかわらず、人々は受け入れませんでした。そこで神は最後の手段として、ご自身の独り子を遣わされたのです。(ルカ20章9~18節参照)
この迫害がいまパウロたちに及んでいるのです。テサロニケからペレア、さらにアテネへと千二、三百キロにも及ぶ迫害の行程は迫害の激しさと、パウロたちの宣教への熱意を表すものであったと申せましょう。即ち迫害が激しければ激しいほど、み言葉の宣教は拡大せられて行ったのです。
反対者の証言
使徒言行録 17:1-9
2006年9月10日
パウロとシラスを告訴した訴状はイエスを十字架に架けたときの訴状に類似しています。即ち、訴える側はユダヤ教のキリスト教化に対する、妬みであったにもかかわらず政治的反逆罪として訴えているのです。
このことをパウロたちは最高の賛辞として受けたのではのではないでしょうか。何故ならば、自分たちがキリストと同じような告訴のされ方をしていることに、光栄な事柄として受け取ったと思われるからです。
「世界中を騒がせてきた連中」とされた「反対者の証言」に送り出されて、彼らは再び新たな伝道地「ペレア」に出発するのです。「反対者の証言」を恐れず、むしろ光栄なこととして、福音を語り続けましょう。
人のための権限
使徒言行録 16:35-40
2006年9月3日
パウロは投獄される時には何の権利主張もしなかったにも拘らず、釈放する時になって権利を主張するのは一体何故なのでしょうか。
ローマの市民権を持つものを裁判にもかけずに、鞭打ち投獄することはローマの法律で禁じられていましたので、長官たちへの報復のようにも思えるのですが、結果はその逆で長官に対しても看守に対しても、罰せられないようにという配慮がなされていたのでした。
パウロの見たイエスの十字架を始とするご生涯は、まさにご自身のための権限主張どころか、十字架に架け、罵声を投げかけている人々のために、ご自身の権限を用いておられることとして捉えていたのです。このことこそキリストの十字架の福音の真髄なのではないでしょうか。
主イエスを信じなさい
使徒言行録 16:節25~34
2006年8月27日
パウロとシラスが入れられた牢は「奥の牢」で「足には木の足枷」を架けられていたとあります。これは死罪にあたると思われます。それにもかかわらず「賛美の歌をうたって神に祈っている」のです。このことは彼らの信仰が死に打ち勝っていることを証しています。
その他の囚人たちや看守たちが、ここにこそ救いがあると思ったとしても不思議はありません。そこで看守は「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか」と尋ねています。すると「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」と応え、果たして「自分も家族の者も皆すぐにバプテスマを受けた。・・・・神を信じる者となったことを家族ともども喜んだ」のでした。
彼ら、即ち囚人たちと看守にとって外面的な拘束と自由のみにとらわれていた者たちは、神の与え給う自由はまさに驚くべきものだったことでしょう。
それでも真実を語る
使徒言行録 16:16-24
2006年8月20日
パウロは「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです」(17節)と叫んでいるのをやめさせました。彼女がこのように叫んだのは真実であり、伝道のために役立つと思えるのですが何故なのでしょうか。
パウロが気付かされたことは異教と福音の混合です。彼女が語ることを通して、パウロ達が語る言葉が神々の語る言葉として受け取られ、キリストの福音が押し曲げられていくと思われたのです。
明確にされなければならないのは、表面的な事柄ではなくて、パウロ達が語る言葉が、人々の反感をかってもそれが真理であることが大事であって、そのために彼らは立てられ用いられていることを承知しておりました。そのために受ける刑ならどのような刑でも受けようと覚悟していたのです。
十字架による平和
マタイによる福音書 26:47-56
2006年8月13日
イエスは「大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした」ヨハネ福音書によればペトロに「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」と言われました。これはイエスが今からなそうとしておられる事が「力の平和」ではない事を意味しています。
イエスは真正面に十字架を見つめながら進んで行かれます。もはや何者も押し止めることの出来ない人類救済の力となってゴルゴダの丘に向かって、自らの決断と神の押し出す力をもって歩まれるのです。そして、イエスの十字架の死による平和と共に完成に向って確実に進められているのです。
それは丁度、あなたの中に神との平和が押し進められ、その力は今や何者も止めることの出来ない確実さと力を持っているのと同じです。唯、今あなたがなすべきことはあなたの心の只中に、イエスを主としてお迎えしさえすれば良いのです。
神の引き合わせ
使徒言行録 16:11-15
2006年8月6日
「神の引き合わせ」は本日の聖句から、神ご自身が導き与えられるものであることを教えられます。しかし、人間の側で全く何の行動や思いなしには起こらないことをも教えられるのです。
リディアは「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊りください」(15節)と招待し承知させています。このことは彼女の家族が神と出会うための、言葉と行動になっています。
この深い信頼関係の絆となっているのは神ご自身であり、キリストの十字架なのです。そしてこの絆こそが教会の存立と進展を導く大事な要素となっているのです。
私たちは多くの人と出会いますが、その出会いの場に導かれるのは神なのです。出会った人々に神が語ろうとされる言葉を語れるように祈ろうではありませんか。
助けを求める者の声
使徒言行録 16:6-10
2006年7月30日
本日の聖句に「パウロは幻を見た」とあります。そのとき「一人のマケドニア人」が幻の中で「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と言ったのはルカと深い関係があるのではないかと思われます。何故ならルカはマケドニア人であったと言われています。
ルカを含めた「彼ら」がたてた計画は全く打ち砕かれ、残るは「ミシア地方を通ってトロアスに下っ」て行く以外になかったのです。ところがそのトロアスという所はマケドニア、即ちヨーロッパへの港町でした。そしてその夜パウロは幻を見たのです。
全ての門が閉ざされたかのように見えたのは、人の思いや計画が閉ざされたに過ぎず、神のご計画は神に従い行こうとする者に、一つだけ門が開かれるのです。
み言葉を宣べ伝える者
使徒言行録 16:1-5
2006年7月23日
本日の聖句でパウロは不思議なことをしています。エルサレム教会において「割礼のあるなしは問題ではない」という結論が出たにも関わらず、テモテに「割礼を受けさせた」(3節)のです。
それはおそらく、ギリシャ人を父にもつテモテがユダヤ社会に受け入れられ、今後の宣教活動を余分な事柄に捉われないようにと配慮した結果によるものと思われます。
「み言葉を宣べ伝える者」にとって、あらゆるものから自由になることは、何ものにも益して大事な事柄であると申せましょう。
パウロはテモテをユダヤ人として受け入れることによって、明確に民族的障害を乗り越えていることを示したのです。またそうすることによって、異邦人への宣教活動が拡げられる可能性を拓くことでもあったのです。
人の思いを用い給う神
使徒言行録 15:36-41
2006年7月16日
バルナバという人はパウロにとって掛け替えのない人物であり、バルナバなしにはパウロの働きはなかったと思われるのですが、ここで意見が対立して、別行動をすることになりました。
しかし「この出来事のなかに、神はどのようなご計画をお持ちだったのであろう」という見方をするとき、「人の思いを用い給う神」のご計画が見えてきます。
このように「神のみ旨がどこにあるのか」という問いに応えるものは、神が私たちのなかに成して来られた過去の出来事から、そしてその経過の中に、神の応えを見出すことが出来るように思います。
パウロとバルナバがここで別行動を始めたことは、一つの伝道団が二つになったということであり、問題のマルコが立派な働き人として、立てられていくためにも、この出来事は必要なことだったのでありましょう。
み言葉の共有
使徒言行録 15:22-35
2006年7月9日
本日の聖句にある出来事は、異邦人伝道の門戸が開かれ、世界中に福音が語り伝えられ、私たちにも喜びの福音が届けられるようになる大事な分かれ道の出来事だったのです。
バルサバと呼ばれていたユダとシラスは、エルサレム教会からの書面に生気を吹き込む役割を果たしたと申せましょう。そしてその役割は私たちの役割でもあるのです。
聖書を説き明かす役割は私たちであり、人間の音声をもって日本語でその上に私らしさを加えて語ることが「み言葉の共有」のために大事な事柄なのです。
本日の聖句にユダとシラスについて詳しく記してはいませんが、唯彼らがいるだけで充分にその証人としての役割を果たしているのです。私たちがキリスト教徒であるというだけで、ある場合には充分にキリストの福音が証しされているということがあるのです。
神に選ばれた民
使徒言行録 15:1-21
2006年7月2日
「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」(1節)。この問題は「イスラエル」即ち「神に選ばれた民」の意味が、ユダヤ民族と言う特定民族を指し示すのか、「神を信じる」人々全てを指し示すのかという重大な問題が持ち上がったのです。
ヤコブは「ファリサイ派から信者になった」人々にとっても重要な人物でしたから、彼の発言は大きな意味を持っていたのです。彼はアモス書9章11、12節を引用して神が私たちに語りかけることは、外面にとらわれるのでなく、唯信仰においてのみ義とされ、救いに導き入れられるということを語ったのです。
「イスラエル」それは「神に選ばれた民」であり、神を信じる者全てが「イスラエル」であり、その中には様々な人々がいるのです。様々な人々がいることこそが教会の素晴らしさなのです。
神の国へ
2006年6月25日
「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」(22節)と言っています。即ちイエスが来られたのは、人の生活が豊かになるためではなくて、人の心や行いを豊かにするためだと言っているのです。
また、パウロは教会がキリストを中心とした交わりの中で、生かされていかねばならないことを語っています。それは「教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた」(23節)ことにうかがえます。
教会の業は個人的働きや人の力によってなされていくのではなく、神の業としてなされていく事を示しています。即ち「神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。」(27節)のです。
パウロはその神の業に用いられていたことに光栄と喜びを、アンティオキアの教会の人々に語ったのです。
天地創造の神へ
2006年6月18日
リカオニア地方にある伝説から、バルナバをゼウス、パウロをヘルメスの神々に間違え、人々は神々への犠牲「雄牛数頭と花輪」を持って来たのでした。それに対して彼らは「服を裂」くという神を汚す忌まわしい行為に対する行動をとったのでした。即ち神以外の何ものも神としてはならないと言う彼らの信仰を表明したのです。
しかし、この出来事は彼らがユダヤ的背景のない異邦社会に接している事実を見る事が出来ます。その中にあって「偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです」とめぐみの言葉を語っているのです。
犠牲を奉げるべき方は、パウロとバルナバでも、ヘルメスとゼウスでもなく、天地を創造され今なお支配しておられる唯一の神にのみ奉げるべきことを説いているのです。
私たちも天地の創造主にのみ、畏れと敬意を持ちたいものです。
恵みの言葉
2006年6月11日
本日の聖句を少し遡って読んで戴きますと、パウロとバルナバに対してアンティオキアにおいて加えられようとした迫害の内容は、「追い出」(13章50節)すことでありました。しかし、イコニオンにおいては「異邦人とユダヤ人が、指導者と一緒になって二人に乱暴を働き、石を投げつけようとした」(14章5節)とあります。即ち次第に迫害の内容が命の危機に及んでいることを知らされます。
それにも係わらず彼らの語ったのは「恵みの言葉」(3節)であり、しかもやめることなく「福音を告げ知らせていた」(7節)とあります。この「恵みの言葉」こそ私たちの語るべき言葉であって、他人を傷つけ、あるいは憎み、裁き、威す言葉であってはならないのです。私たちの伝えるべき言葉は、私たちを愛し、受け入れて下さった主の言葉なのです。それこそがパウロとバルナバが語った「恵みの言葉」なのです。
偉大な神の業
2006年6月4日
今年のペンテコステは今日(6月4日)ですが、この「ペンテコステ」は「五十番目」を意味し、過越しの祭りから7週が過ぎて、五十日目から始まる一週間がユダヤにおける五旬節の祭りの週です。この祭りには二つの大切な意義があります。一つはシナイ山でモーセを通して律法が与えられた記念の祭りでした。次には収穫が終わって神に感謝する祭りでもあったのです。
そんな時に本日の聖句に記されているようなことが起こったのです。即ち、「突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ」て来たのです。それにもかかわらず14節以下にあります説教から見ると、使徒たちはごく冷静な心理状態にあったのです。
「この物音に大勢の人が集まって来た」(6節)その人々に使徒たちはキリストの福音を語り始めたのです。これがキリスト教会誕生の瞬間だったのです。
天の窓を開いて
2006年5月28日
本日の聖句に登場した女性は、家族のすべての責任を負っていました。しかし、彼女は問題があるときはいつも神のもとにその窮状を訴えたのです。
私たちは自分の力でまず解決しようとします。それにも係わらず物質的状況すら把握出来ずにいるのが現状です。
彼女は預言者エリシャの所へ行き、2節で「何をしましょう」との問いに、自分の解決したい問題を告げ神よりの答えを待ちました。エリシャは、彼女の答えを聞いて「隣の人々から器を借りなさい」と勧めました。そこで彼女は空っぽの器を借りて来て、勧められた通り一本しかなかった油(オリーブ油)をうつしたところ全ての器が一杯になったのです。
このことは何を私たちに伝えているのでしょうか。私の欲求や願望が一杯になっているときに神の恵みや祝福が注がれる余地がないことを物語っているのではないでしょうか。
神の働き
2006年5月21日
パウロとバルナバとが神のみ言葉をアンティオキアで語り初めて、2週間もたたないうちに「ほとんど町中の人が主の言葉を聞こうとして集まって来た」(使徒言行録13章44節)のですから、ユダヤ教徒達は「神をあがめる貴婦人たちや町のおもだった人々を扇動して、・・・・その地方から二人を追い出した」(50節)のでした。
しかし、このことを異邦人たちのみならず、弟子たちまでもが「喜び、主の言葉を賛美した」(48節)とあります。
一方パウロとバルナバにとっては、この事を神のご計画、神のみ旨として受け取っていくのです。「見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く。主はわたしたちにこう命じておられるからです。『わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、あなたが地の果てにまでも救いをもたらすためです』」(46、7節)と語っています。「神の働き」は誠に不思議です。今もその働きが私たちに注がれているのです。
神の力
2006年5月14日
本日の聖句(使徒言行録13章13~43節)に記されている出来事の中に、神の力は人間を遥かに超えて働き、支配し導き動かされることが示されています。
第一に「ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった」事に関しても、後に彼を「わたしの務めをよく助けてくれる」人として評価するように導かれています。
更にはパウロたちが会堂に入ったとき、「兄弟たち、何か会衆のために励ましのお言葉があれば、話してください」といわれて語った宣教の内容は、会衆にとって決して聞きよい話しではなかったはずです。しかし、神は人々の心を動かして「人々は次の安息日にも同じことを話してくれるようにと頼んだ」とあります。
私たちにとって、その時々には神は黙して働かれないかのように見えますが、神は人を遥かに超えて働き救いへとご計画を進めておられるのです。
定められた仕事
2006年5月7日
パウロはこの第一回伝道旅行に出るまでは、「サウロ」というユダヤ名を名乗っておりましたが、この異邦人伝道に出るにあたって、「パウロ」と名乗っています。それはパウロの並々ならぬ決意を表していると申せましょう。
まだ小さな群れに過ぎないキリスト教にとって大事なことは「一致」ということです。この「一致」を彼らが会得したのはキリストによる救いを受けてからでした。
この「一致」の中から伝道団の人々は危機を乗り越える事も、安易な道を選ぶより神のみ旨であるならば、あえて危険を冒してでも選ぶべき道として行ったのです。
それは彼らを神がそのように選ばれたからであり、神のみ旨に従うことであると信じていたからに他ありません。神のみ旨がそこにあるのならば、何を恐るべきでありましょうか。
神を讃美しよう
2006年4月30日
本日の聖句は、人から称賛を受けたときに自らを神の位置に置く人の傲慢に対して、警鐘を鳴らしています。
テイルスとシドンの人々は目先の経済や食糧事情に惑わされて、ヘロデ王の演説に対して「神の声だ」(22節)と叫び、王がそれによって慢心したために「主の天使がヘロデを撃ち倒した」(23節)のです。
讃美すべき方はヘロデ王でも、私たちにとって都合のよいことをしてくれるひとでもないのです。今日、私たちの周辺を見回してもこれと同じような事が毎日のように見受けられます。目先のことに惑わされて、人を讃美したり物を讃美したりして、神の位置に他の何ものも置き換えてはならないのです。
本当に尊ばれ畏れられ讃美されるべき方は、只神のみなのです。日々の生活の中で、小さな事柄に見えるもののなかにも、このことを思い起こし、讃美すべき方のみを讃えて参りましょう。
こんな私のために
2006年4月23日
ペトロはイエスを裏切り、それを悔いてはらわたを絞り出す程に泣いたのでした。そのペトロのもとにイエスは甦りの姿をあらわし、裏切った者の苦しみを慰め立ち上がらせるためにおいでになったのです。イエスはご自身が受けた心の傷よりも、傷つけた者の心痛に思いを馳せておられるのです。
イエスの兄弟ヤコブに現われたのは、彼はイエスを理解せずに敵意さえ持っていたのでした。恐らくイエスの生涯の終わり近くに、ヤコブの敵意は畏敬と称賛に変り、自分の兄弟でありながら神の独り子を虐待したことへの悔恨に胸裂かれる思いになっていたことでしょう。
本日の聖句でパウロは「最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現われました」(コリントの信徒への手紙15章8節)と言っています。今私たちにも甦りの信仰を与えてくださり、信仰者のひとりとして加えてくださいました。
主は甦られた
2006年4月16日
マグダラのマリヤ、ヤコブの母マリヤ、サロメの三人の婦人たちは、イエスの甦りを知らされたときに、恐れを憶えて逃げ去ったのでしたが、甦られたイエスに実際にお逢いした時には、弟子たちに伝えずにおれなくされて行ったのでした。同様に弟子たちもまた、失望落胆から立ち上がり、信仰に立たせられていきました。
彼女たちがその魂に抱いていたものが、恐ろしい十字架の光景であったときには、イエスの甦りは恐ろしいものとして映ったのです。しかし、イエスの甦りを勝利と栄光の姿として捉えたときには、彼女たちにこの同じ出来事が、輝かしい喜びの事柄として魂を揺さぶったのです。
マルコが書き残したこの甦りの事実は、弟子たちの信仰を燃え上がらせ、イエスと彼らの交わりを記し、イエスのみ言葉を裏づけ、彼らに使徒の委託を与える、あの啓示に向って備えさせたのでした。
七つの言葉
2006年4月9日
福音書によりますと、イエスは十字架上で七つの言葉を語っておられます。その中で「エリ、エリ、レマサバクタニ」(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。マタイ27章46節)の句は、弟子たちがご自身を見捨てる苦しみよりも、神が助けるために傍らに居てくださらないことの方が、遥かに苦しいことであったのです。
このイエスの深い苦しみがあったからこそ、神は人の罪を赦されたのです。またその故に教会の信徒たちは、ただ単にイエスが死んだと語るに止まらず、イエスがどれ程苦しまれたかを、真剣に宣べ伝えるのです。
この七つの十字架の言葉の中に、イエスの歩んで来られた道程の全てと、その意図の全てとが包含されているように思います。この「七つの言葉」の一つ一つを、イエスの全生涯から照らし出すとき、神の愛の深さが見えてくるのです。
喜びのあまり
2006年4月2日
本日の聖句に登場する人々の行動から、私たちの祈りのあり方が示されているように思います。
ペトロが救い出されるように祈っていたはずなのに、ロデは「喜びのあまり」戸を開けることを忘れてしまい、一心に祈っていた使徒たちを含んだ人々はまさかペトロである筈がないと思い込んでいます。
使徒たちにせよ私たちの祈りにせよ、どこかで私たちの不可能はそのまま神の不可能と思い込んでいるのではないでしょうか。
イエスはマルコ福音書9章23節において「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」と言われました。まさに私たちの信仰の矛盾を指摘されているのです。
即ち、全能の神を信じていながら人に不可能なことだからといって、どこかで人の力量で神の力量を決めてしまい、祈りながらも不可能と決めてしまっていたのではないでしょうか。
主のみ力が臨む時
2006年3月26日
ペトロが捕らえられ、最も厳重な地下牢に投獄されたとき、「教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた」(5節)のです。
人の力ではどうにもならなくなったとき、人は神の前に無力であることを知らされ、全てを神に委ねるときに、神の力が人の中で完全に働くのです。
その事は、ペトロの「天使のしていることが現実のこととは思われなかった」(9節)という証言にも現されています。「今、初めて本当のことが分かった」(11節)といった言葉は、単に「ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ」(11節)ということだけではなくて「主のみ力が臨む時」にどのような人の力やあらゆる不可能をも越えて、全てを現実とし可能となることが分かったのです。
私たちが不可能と思うとき、私たちの取るべき方法は祈ることであり、主の御臨在を願うことです。
神の現実
2006年3月19日
本日の聖句には、弟子たちが甦りのイエスに出会っていながら、解らなかったことが記されています。それは人間の現実から見れば甦りはありえない事だったのです。
しかし、イエスはその人間の現実の中に入ってこられたのです。それも、漁を専門としていた弟子たちの中に、彼らの常識を打ち破って来られたのです。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ」(6節)と。
「神の現実」は人間の現実をはるかに越えていることを見せられた時、彼らはその方が甦りのイエスである事に気付くのです。
網という教会はあらゆる種類の魚に譬えられるあらゆる人々を包むに充分な、そして破れることのない教会であり、人間の現実も、思いも全てを越えた「神の現実」がイエスの甦りと共に、私たちの中に働きかけておられるのです。
クリスチャンとは
2006年3月12日
エルサレム教会(初代教会)では、アンテオキヤで行われた伝道を伝え聞いて、次のような人物を送る事にしました。
- 律法について厳格であると同時に寛大な心の持ち主であること
- ユダヤ的伝統の中で育った純粋なユダヤ人で、異邦人とも付き合える人であること
- アンテオキヤをキリスト教の拠点とするために、ユダヤ人と異邦人の両面からの攻撃に対して、対処出来る熟達した人物であること
バルナバは祈りの中にサウロ(後のパウロ)を思い浮かべました。サウロは9年間自分の郷里でキリストを証ししていたと思われます。アンテオキヤがキリスト教の拠点となるために、アンテオキヤ教会の人々はその生き方においてその地のひとびとの敬意を寄せられるよになり、初めてキリスト者(クリスチャン)と呼ばれるようになったのです。
神のみ霊を受ける時
2006年3月5日
初代教会の人々の中で、異邦人問題に拘りを持っていた人たちをして「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」(使徒言行録11章18節)といわしめた事柄は、神の救いがユダヤ人にとどまらず、世界へと広がる事がらとしては勿論のこと、ユダヤ人以外のものが神の救いにあずかり得ることは、喜ばしき福音(おとずれ)であった事を語っていると申せましょう。
ここでペトロの証言の仕方について、今一度目を注いでみましょう。彼がこの出来事を彼の考えによらず、ただ事実をありのままに、しかも順序正しく語ったということです。それによって神の業がそのまま語られたのです。
キリスト教は、神が事実生きて働き、人を作り変え、悪しき者を善き者とし、今も人々に神のみ霊を注いでありのままを語らせてくださって、宣教の業を私たちに果たさせて下さっているのではないでしょうか。
偏見なき神
2006年2月26日
ユダヤ人は他国人や混血のユダヤ人を差別し、憎しみその結果相互不信に陥ってしまったのです。そのユダヤ人を他国人は憎しみ、相互不信に陥るという不幸な循環を生み出したのです。 それに対して、ペトロのとった方法は、自分の考えを交えて話すのではなく、ありのままを話す事によって、人の現実よりも神の現実を知ってもらいたいという事でありました。
「神は偏り見ない」と言うとき「おのおの、自分のことばかりではなく、他人のことも考えなさい」というフィリピ2章4節の言葉と切り離せない関係にあると申せましょう。
私たちが一つの事柄に出会ったとき「自分はこうしたい」という希望と「あの人はどうしたいか」を合わせ考える事が、人と人との垣根を越えること、取り除くことになり、私たちも神に習って「人を偏り見ない」者となり、平和を創りだす者となっていくことができるのではないでしょうか。
人の慣わしより神のみ旨
2006年2月12日
本日の聖句に、ペトロが皮なめしシモンの家の屋上で祈りをしている時、「我を忘れたようにな」った、天から四隅でつるされた布の中に、「あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた」そして、「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」と言う声がした。しかし、ペトロは言った。「主よとんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません」すると、また声が聞こえてきた。
「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」 この事は、異邦人に対するイスラエル(神に選ばれた民)の差別意識を払拭するために神がペトロに語りかけられたところです。私たちがみ言葉を語ろうとするとき、今は時ではない、私には上手に語る言葉がない、恥ずかしい、更にはこの人に今語っても何の役にもたたない等など、勝手に理由づけをしてしまい勝ちです。神は今私たちに「人の慣わしより神のみ旨」が優先せられるべきことを示しておられます。
み旨が先立つ時
2006年2月5日
コルネリウスの善行は、カイサリアの人々に知られているだけではなくて、神の知るところとなり異邦人伝道の架け橋の第一番目の人として、選び出されたのです。 彼が用いられた理由を探してみますと、先ず百人隊長としてよき指導者であった点があげられるでしょう。次に「神を畏れる人」であった事、神を求めていた人でありました。更に「施し」をする人即ち、人を愛する人であった事も欠かせませんでした。しかし何よりも大事な点は、祈りの人であった事でありましょう。コルネリウスから見える神からの光は、決して大きなものではなかったでしょうが、彼は僅かに射しくる光に導かれて、神に従う生活をしていたのです。
私たちもコルネリウス同様、神に選ばれた者たちです。教会に来ていない多くの人々に優っているわけではありませんが、一人びとりがそれぞれの場で最も大事な役割をもつべき者として選ばれたのです。
活力の源
2006年1月29日
本日の聖句に見られる二つの出来事について、ペトロは何れも自らの業ではなく彼を通してイエス・キリストの力が働くことを示しています。即ち、自分は単にイエス・キリストの活力のパイプに過ぎないと知っていたのです。
もう一つルカが用いた言葉で「聖なる者たち」(32節・41節)という言葉がありますが、この言葉は「この世の人々と異なっている人たち」という意味があります。
従って、キリスト者が神に選ばれたのは、優れた能力があるからではなく、この世の権力や名誉を持っているからでもありません。唯神の目的のために選ばれたのであり、その故に人々と異なる人なのであります。
活力の源なるイエス・キリストが、次に私たちを通して何をなさろうとしておられるのか楽しみになってきます。
神の業 その偉大さ
2006年1月22日
サウロの宣教の第一歩がダマスコであり、エルサレムであったことは、神が彼を全く変えてしまったことを証明する最も優れた行動であったと申せましょう。しかし、この行動は実に危険なことでした。結果から見ると、サウロに危険が迫れば迫るほど、本当に彼がキリストの使徒とせられた事が証明されて行っています。
即ち、サウロが変ってしまったことを第一に認めたのはユダヤ教徒の側だったことを表しています。その中で彼は自らの過去の過ちを許され受け入れられて行き、キリストのものとされて行く様を実感しながら行動しているように思われます。否、彼の行動に先立っておられる神をはっきりと見ることが嬉しかったのでありましょう。
ステパノの祈りの姿を通して、アナニヤの許しの心、今またバルナバの寛容の心の中に「人を超えてなされる神の業」を見出す時、危険の向こうに希望を見出したのです。
委ねられる幸い
2006年1月15日
アナニヤに神はキリスト教徒を捕縛するために来た「サウロ」(後のパウロ)のために、「手を置いて祈ってあげなさい」と言われたのです。彼は大変驚いてしまいました。
「捕縛する者の前に自ら出て行くようなものだ」という思いと、「しかし、神様がなせと言われるのだから」と言う思いとが入り混じりながらも、出かけて行くのです。
おそらく、道々神様が与えられた自分の役目をどのように果たしたら良いのかと考えながら、歩いたのでありましょう。そして導かれ与えられたことが「手をサウロの上に置いて・・・兄弟サウロよ」と呼びかけ受け入れる事でありました。
信仰は「委ねる事」だと申しますが、委ねることの難しい状況の中で、自分の百%の働きをもって、神様に委ねて行く事がいかに大きな業となって行くかを、アナニヤとサウロを通して語られているのではないでしょうか。
主が呼んでおられる
2006年1月8日
サウロ(後のパウロ)はキリスト者たちへの迫害の度合いを強めても、彼が考えるように信仰を捨てるどころか何ものをも恐れず、全く平静でいられるのは何故か、彼の疑問は深くなるばかりでした。
そんな時、彼はダマスコにキリスト者たちがいることを聞き、議会から添書をもらって出かけて行ったのです。ところが彼はダマスコの町を見たとたんに「天からの光が彼の周りを照らし」主の「呼びかける声を聞いた」のです。この呼びかけの声は彼が最近特に深い疑問となっていた方の声だったのです。そこで彼は「主よ、あなたはどなたですか」という彼が最も知りたかったことを尋ねました。
私たちも多くの言葉を聞きまた読みます。しかしその中で主が語り呼びかけておられることを、聞きとろうとしているでしょうか。様々な事柄を通してあなたを「主が呼んでおられる」のです。私たちは聞き漏らさない様に、心の耳を澄ましましょう。
新しい民となれ
2006年1月1日
2006年が私たち一同に与えられたことを、心より感謝し「おめでとう」の挨拶を互いに交わしましょう。
世界の時の流れの中で、キリスト教徒として手をこまねいて只見ていたのでは、神に託された者の役割を果たすことができません。この時こそキリストの福音に立って舵取りをあやまたぬようにしなければなりません。
本日の聖句(イザヤ書66章22、23節)は、世界に向けて語られていると同時に、第三イザヤは「あなた」に向って語っているのです。そして、世界がどのように動き、隣人がどのように騒ごうとも、神の最終の目標は「すべての人はわが前に来て礼拝する」のです。
この事が私たちキリスト教徒としての「新しい天と地の民」の果たすべき役割であり、神の最終目標に向うことこそ、大事な舵取りなのです。