2022年7月3日メッセージ「命の水」ヨハネのよる福音書7章37~39節

仮庵祭は、エジプトを脱出したイスラエルの民が荒れ野で天幕に住んだことを記念するお祭りでしたが、収穫祭と結びつき、水注ぎが行われていました。仮庵祭の終わりの日、人々に盛大に水がかけられる中で、イエスさまは大声で叫ばれます「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい」。大勢の人々が祭りに浮かれている中で、イエスさまは人々の魂の渇きを見たのでしょう。

詩編42編には、魂に渇きを覚え、神を求める信仰者の姿が記されています。「涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、わたしの魂はあなたを求める。」魂の渇きをいやすことができるのは、富でもなく、名声でもなく、知恵や知識でもなく、ただ神さまを求めることだけなのです。

イエスさまは言われます「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた川が水となって流れ出るようになる」。イエスさまのもとに行き、イエスさまを信頼してイエスさまの歩みに倣う者、すなわち神さまの導きに従って歩む人は、その人の内から生きた川が水となって流れ出るというのです。聖書において川は、生命力の象徴です。神さまを信頼して御心に従って歩む人は、渇きがいやされ、悲しみや苦しみの中から立ち上がる力、再び歩み始める力を与えられます。それだけでなく、その水は、その人から川のように流れ出して、その人の傍らに立つ人々の渇きをもいやしていくのです。日々神さまを求めて歩んでいきましょう。        〔細井留美〕

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