神と富、二人の主人のうち、どちらかにしか仕えることはできない。。この不正な管理人のたとえですが、読んでいくと、かの主人も認め、キリストも認めているようです。何故でしょうか?何かを失うなら、何かを得なければなりません。キリストは忠実な信仰者を求めています。
富とは何でしょうか?いわゆる財産です。財産と言った時、社会的なあらゆる自分が財産化され、実は財産が主人であり、私達はむしろそれに支配され、失わないようにするだけです。私は信仰者にとって大切なものは、イエスキリストととの感情的な結びつきだと思っています。つまり、神に、キリストに大きな借りがある人は、大きくそれを返すのです。
ペルセポリス、イランの女性監督の作品です。一つの場面では、私たちはいつだって何かを選び取っている事を教えてくれます。私達は自分達で神様を小さくしてはいないでしょうか?神様が大きな大きな、大きな存在であるかどうかは、私たちの選択にかかっているのです。
悔い改めを求めてられています。キリストによって救われた人には、キリストに大きな借りがあります。富である、社会の常識や、世間の目や、安心な居場所や、自己実現よりも全く違う大きな借りです。「イエス・キリストがなんのために死んだのか、考えてごらん。」私たち一人ひとりが、キリストに学び、全く変えられて新しい人生を生きるため。二人の主人のうち、どちらか。私たちには、大きな神様に、大きなイエスキリストの愛に大きな借りがあります。 〔奥田 悟〕