2021年9月12日メッセージ  「死んでいたのに生き返った息子」  ルカによる福音書15章11~19節

イエスは徴税人や罪人と食事を一緒にします。すると、宗教指導者たちは、この人は罪人たちと食事まで一緒にしていると、不平
を言いました。イエスは譬え話を三つ語ります。今日は失った息子の話です。
第一に、17節に「そこで、彼は我に返って言った」とあります。父親が生きているのに、息子は遺産相続を求め、村人は悪い息子と
思いました。息子は財産を分けてもらい、放蕩に使い切り、飢饉が起き、豚の世話をしてその餌を食べたかったのです。息子は我に
返って、私は天と父親に罪を犯したと言いました。
第二に、20節に、「父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」とあります。この解釈は父親の息子に対
しての愛情に傾いています。しかし、村人の視点です。父親が走ったのは、村人たちが抱いている敵意から、息子を守るのでもあり
ました。父親は、息子が立ち返る喜びを、村の人々が心から受け入れて欲しいと願いました。
第三に、24節は、父親が、『この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ』と言います。父親が息
子を取り戻した喜びと、息子の復帰を承認した村人の喜びとが祝われます。中東の人間関係において村人は大事です。西洋の視
点ばかりではなく、もっと中東の視点を知ることも大事だと思います。
父親の喜びを、家族と村人たちが、分かち合っています。私たちは、息子として、家の者として、村人として、その祝宴を心から喜
んでいるのでしょうか。〔魯 孝練〕

関連記事