日曜日。あなたはどんな風に過ごしていらっしゃいますか?
映画に、ショッピングに、アウトドア、いつも予定がぎっしり・・・・というあなた。
たまの日曜くらい、家でゴロゴロして日頃の疲れをいやさないと・・・・というあなた。
みなさん、それぞれの過ごし方があると思いますが、私たちクリスチャンは、特別の事情がないかぎり、日曜日には教会に行き、礼拝に出席します。そのことをお話しすると、「へえー、毎週?えらいですねえ」などという反応がよく返ってきます。でも実際、私たちにとっては「えらい」とか「大変」とかいう感覚ではないのです。なぜなら、日曜日の礼拝は、私たちのパワーの源だからです。
現代の社会に生きるということは、本当に疲れることばかりです。生まれたときから、競争、競争の毎日です。子供の頃から、勉強でもスポーツでも、常に人と比較されます。受験戦争、就職戦争、出世競争。人の生き方はそれぞれにしても、私たちはやはり、他人と自分を比べずにはおれません。なんとかして自分の価値を証明したいという思いから、他人と自分を比べ、相手の方が劣っていれば安心し、相手の方が優れていれば、落胆や嫉妬を感じます。優越感と劣等感の繰り返しで、心の安まる暇がありません。
でも、教会では違います。神様は、人の優劣を比べられる方ではありません。神様の前では、私たちは一人一人、同じように価値のある人間なのです。人間的に見れば価値がないように思える人でも、神様の目から見れば、同じように尊い、大切な存在なのです。
自分自身でも認めたくない自分の弱さ、心の奥底にある醜いもの-そういうものもすべて、神様はご存知のうえで、私たちを愛してくださっています。その証拠に、そんな、いたらない私たちを裁いたり、切り捨てたりせずに、ひとり子イエス・キリストを身代わりとして十字架につけてくださったのです。
この無条件の愛に出会うとき、私たちは、人と比べる生き方から解放されます。ありのままの自分を受け入れていただいて、心安らかに、生き生きと、喜びに満ちた新しい人生を始めることができるのです。
そして、これこそ、私たちクリスチャンが毎週、神様を礼拝しに教会に集まる理由なのです。キリストの復活の日である日曜日、神様の愛に感謝して、一週間の生活の重荷をおろし、新たな一週間に立ち向かう力をいただく場が、礼拝なのです。
マタイによる福音書11:28-29
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
これを読んでいらっしゃるあなた。あなたも教会にいらっしゃいませんか。神様はすべての人を-そう、あなたを招待しておられるのです。今度の日曜日、あなたも真の休息のために、心の重荷をおろしに、教会にいらっしゃいませんか。あなたのおいでをお待ちしています。