2021年8月29日メッセージ      「みことばに立つー地の塩として歩むためにー」

あなたの御言葉は わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯
ここにある「御言葉」とは、ヘブライ語で「ダバール」。「モーセ5書」つまり「律法・トーラー」です。正義、義、
裁き、命令、定め、さとし、おきて、戒め、仰せなどはトーラーを表します。「律法」というと、厳しく堅苦しい印象を
もちます。しかし、律法の根底には、神の一方的な変わらない真の愛が貫かれています。本当の愛がなければ、その人を
生かし、建てあげる言葉は発せられません。みことばの本質は、恵みと憐れみ、愛に満ちておられる「神ご自身」といえ
るでしょう。神は、みことばをもって私たち被造物を愛おしみ、「生きよ!」と叫び続けておられるのです。/8月、私
たちは戦争と教会について学び平和について考えました。アジアの国々を侵略し苦しめる戦争に荷担した当時の日本のキ
リスト者・教界の弱さ・脆さを知りました。 それは私たち自身の姿なのかもしれません。「平和(シャローム)は、単
に戦争がない状態を表すのではなく、欠けがなく、どこも損なわれておらず完全で、無病息災、平穏無事な状態ないし関
係を表す包括程な概念であり、文脈によって民の安寧、弱者の保護を含む社会的秩序、個人の健康、幸福、また人間と被
造世界の関係をも表すことができるダイナミックな言葉です。」(「ウブムエ」より、西南学院大学神学部 須藤伊知郎
教授)
イエスさまが目指した平和(シャローム)を望むキリスト者にとって、日本、世界で起きているどんな出来事も、コロナ
や偏見・差別に苦しむ人々の声も、人ごとではありません。全てはつながっており関係性の中で生かされているのです。
私たちは、今、目の前にある社会の現実とみ言葉をどのように結び、自らキリスト者として、教会、福音のあかし者とし
て、日々、どのように考え、行動していけばよいのでしょうか。 みことばに立ち、神と隣人と共に生き、問われ、考え
、行動し続けていきたいと願います。 〔米本裕見子〕

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