父親は返ってきた弟を歓迎しました。これを聞いて兄は弟を反発しますが、結局は受け入れたのでしょうか。宗教指導者たちは、「徴税人」や「罪人」を受け入れたのでしょうか。私たちは罪人と呼ばれる人々を受け入れるのでしょうか。
第一に、28節に「兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた」とあります。兄の怒りは弟を「あなたのあの息子」と呼ばれる事に表れています。すでに兄は「弟」をないと思っていたのかも知れません。「あなたのあの息子」が娼婦どもと財産を浪費したと言われます。
第二に、32節に、「お前のあの弟は死んでいたのに生き返った」とあります。兄の「あなたのあの息子」に対して、父親は「お前のあの弟」と言い直しています。父親は「お前のあの弟は死んでいたのに、生き返った。いなくなっていたのに、見つかったのだ」と言います。父親は兄にも喜びの祝宴に参与する事を願っています。
第三に、父親の問いに、兄はどう答えるのでしょうか。そして宗教指導者は、そして私たちは、どう答えるのでしょうか。父親は兄が弟を受け入れて、村人と共に祝宴に参与することを切に願います。この兄の姿は、当時のファリサイ派の人々や、律法学者たちの不平を表します。弟の姿は徴税人や罪人です。イエスは宗教指導者が歩みを改める事を願っています。
教会は誰にでも開かれています。イエスが徴税人や罪人を歓迎したように、教会に導かれる一人ひとりを心から歓迎していきたいと思います。 〔魯 孝練〕