復活したイエスさまは、恐れと不安の中にいる弟子たちに姿を現わされ、彼ら彼女らが主の復活を理解するまで、繰り返し姿を現わして励まし、彼ら彼女らを人々のもとへと派遣されます。マタイによる福音書の舞台はガリラヤです。弟子たちは、イエスさまが指示されたガリラヤの山に登り、「そこでイエスに会いひれ伏し」ます。「ひれ伏す」は、「礼拝する」ことを意味します。「しかし、疑う者もいた」とあり、イエスさまは「礼拝しつつも疑う」弟子たちに自ら近づいて行かれました。そして、「わたしは天と地のいっさいの権能をさずかっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によってバプテスマを受け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる」と言われます。弟子たちが欠けのある存在であることを知りつつ、わたしが共にいると励まし派遣されたのです。
私たちが伝道あるいは宣教といった場合、人々を教会に招くことに重点があるように思いますが、イエスさまの宣教命令では「行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」とあり、弟子たちがあらゆる場所へ出かけていくことに重点があります。人々が教会に来てくれるのを待つのではなく、私たちが教会の外に出かけていくことが大切であることを示しています。「教会の外」とは、職場など日常生活の中ですでに与えられている人との関係の中で、キリストを証ししていくことではないでしょうか。派遣されているその場でキリスト者として誠実に生きることがキリストを証しすることになるでしょう。キリストを証しするために「派遣されている」ということを常に心に留めながら、教会の外で人々に出会っていくことができればと思います。 〔細井留美〕