どんな人でも先が全く見えないと不安を感じるものです。先が見えないからこそ不安になるのです。イエスさまは、弟子たちが行き先不透明な中で不安に陥っていたとき、彼らにこのように言われました。「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」。それは、私たちが心を騒がせるような時、このことを一層はっきりと自覚する必要があったからです。自分ではイエス様を信じ、イエス様に信頼していると思っていても、実のところそうでないことがあるということを。日ごろイエスさまに信頼している人でも、もう一度この原点に立ち返るとき、心の中から不安が消えていきます。これこそあらゆる問題の解決の原点なのです。
そして、私たちは、騒いでしまう心に将来の希望、天における希望が必要であることが分かります。この世を越えた視点、天国という視点で、また現在という時間を越えた永遠という視点で見るならば、今まで問題だと思っていたことが、全く問題ではなくなってしまうということです。そして、イエスさまは、この天国に行って、場所を用意したら、また来て、私たちを迎えてくださいます。しかも道であり、真理であり、命である主イエス・キリストのもとにいるなら、その主イエスが私たちをその都度導いて下さるのです。将来に約束されているこの救いを信じるなら、私たちは、この世の歩みにおいて苦しみや悲しみがあっても恐れることはありません、心を騒がせてはならないのです。〔郭 修岩〕