2023年11月26日メッセージ「うめきながら待ち望む」ローマの信徒への手紙8章18~30節

 8:20の被造物が虚無に服した原因は、創世記3章の人が神との約束を破ったことにあります。しかし、「同時に希望も持っている」とパウロは語ります。21節に「被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれる」とあり、神の子たちの栄光によって、被造物も虚無から解放されるのです。
 しかし、私たちは神の子とされる霊を受けたものの、肉においては未だに罪の法則に仕えている者であり、神の子とされることを待ち望んでいる存在です。被造物が与ることのできる「神の子供たちの栄光に輝く自由」すなわち「将来わたしたちに現わされるはずの栄光」(18)は、コリントの信徒への手紙一の15章でパウロが語っている、世の終わりに自然の命の体が霊的な体に復活することだと考えます。私たちの体が、霊的な体へと変えられ罪に支配されないことが「体が贖われること」であり、「神の子供たちの栄光」なのです。そして、私たちの体がもはや罪に支配されなくなった時に、被造物もまた「滅びへの隷属」から解放されるのです。その時まで、すべての被造物は共にうめき、共に産みの苦しみを味わい続けるのです。
 しかし、地球環境は非常に逼迫しています。私たちは、終末が来るのをただ待つしかないのでしょうか。23節に「神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望む」とあります。「うめく」とは、痛みや苦しみのあまり低い声を出すという意味であり、「うめきながら待ち望む」とは、被造物全体の痛みを自分たちの痛みとして共に苦しみながら、いつか苦しみから解放されることを待ち望むことを意味するでしょう。破壊されていく自然、絶滅の危機に瀕している生き物、戦火や貧困に命を脅かされている人々の痛みと苦しみを共に苦しみ、呻きながら終末を待つことが私たちにできることなのです。
 8章26節~28節で、霊がわたしたちを助けてくださる。霊がわたしたちに代わって執り成しの祈りをしてくださる。そして、神は霊の思いを知っておられるとパウロは言います。それが真実であれば、私たちの祈りは、終末を待つよりも早く聴かれるのではないでしょうか。                          〔牧師 細井留美〕

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