今日の聖書の箇所でも、病を通して、本来なら敵対し、互いに軽蔑し合っていたユダヤ人とサマリア人が一つにつながった場面が描かれています。彼らは病のために「汚れた者」と見なされ、他の人々と接触することが許されず、社会から隔離されて生活していました。普段なら敵対関係にあったユダヤ人とサマリア人が、同じ「重い皮膚病」という苦しみを共有することで結ばれていました。彼らの共通の「言語」はこの病気であり、共通の夢は「癒されること」だったのです。彼らはただ「自分が早く癒されること」を夢見ていました。毎日その日を待ち望み、ついにその夢が現実となる瞬間が訪れたのです。
主イエスが十人の重い皮膚病の人々に触れることはせず、むしろ距離を保ち、遠くから「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と声をかけるだけで、直接癒されることもありませんでした。そして、ルカの話によれば、彼らはそこへ行く途中で清くされたとのことです。ただ「一人」のサマリア人が、自分の癒しに気づき、神を賛美しながら主イエスのもとに戻ってきました。彼は主イエスの足もとにひれ伏し、心から感謝を捧げたのです。
10人全員が癒されましたが、「救われた」と言われたのはこの一人だけでした。彼は、自分の癒しを通して主イエスへの感謝と賛美を示し、救いに至ったのです。私たちは毎週の礼拝から派遣され、また次の礼拝に戻ってくるというサイクルの中で信仰を養われていきます。礼拝によって私たちは、主イエスと日々の交わりを深め、感謝をもって、これからの歩みを続けていくことができるのです。 〔宣教師 郭 修岩〕