アドベント第三主日は「喜びの主日」と呼ばれ、救い主の到来が近づくことを喜び祝う日です。この「喜び」は一時的な感情ではなく、待ち望んだ希望が実現する深い安心感と感謝から来るものです。
イザヤ書35章は、荒れた砂漠に花が咲き、荒れ野が喜びに満ちる情景を描きます。これは主の臨在による癒しと回復の象徴です。しかし現実には、バプテスマのヨハネが獄中で「あなたが来るべき方ですか」と問いかけたように、確信と疑問が交錯することもあります。それでもイエスは「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き…貧しい人々に福音が告げ知らされている」(マタイ11:5)と語り、苦しみの中でも神の御業が進んでいることを示されました。
この「喜び」は、絶望の中に希望を見出し、再生へと導く力です。イザヤ書の情景は、荒れ地が花開き、枯れた場所に水が湧くように、神の救いが働くことを示しています。試練の中でも主が共におられると信じる時、真の平安と喜びが与えられます。
アドベント第三主日のろうそくは、困難や孤独の中にある人々にも差し伸べられる希望の光も象徴しています。私たちは、温かい言葉や祈り、支援を通じて主の喜びを分かち合うよう招かれています。
「荒れ野よ、喜び踊れ」という言葉は、人生の試練の中でも神が命の水を注ぎ、花を咲かせてくださることを教えています。クリスマスを待ち望むこの時、主の共におられる希望を信じ、与えられる喜びを周りの人々と分かち合いましょう。〔宣教師 郭 修岩〕