2024年12月29日メッセージ「救い主を求めて」マタイによる福音書2章1~12節

 マタイによる福音書では、イエスさまの誕生に人々がどのように反応したのかが対照的に述べられています。東方の博士たちは、ユダヤの国に「救い主」が生まれたことを知り、礼拝するためにはるばる遠くから旅してきます。ところが、ヘロデ王とエルサレムの人々は、「救い主」が生まれたと聞いて、ひどく動揺します。人々は、救い主が生まれたことにも気づいていませんでした。ヘロデの場合は、自分の王権が脅かされるかもしれないことに、人々はメシアが生まれたことによって社会に起こる変化を恐れたのかもしれません。このことは、私たちと無関係ではありません。もし、今救い主が来られたとして、わたしたちは受け入れることができるでしょうか?救い主が来られることによって起こる変化を喜ぶことができるでしょうか?
 東方の博士たちの救い主を探し求める旅を、「聖書教育」12月号では、私たちの信仰の旅に重ねています。私たちにはそれぞれイエスさまに出会うまでの物語があり、それを救い主を探し求める博士たちの旅に重ねることができるでしょう。しかし、信仰の旅は、イエスさまに出会って終わりではなく、そこからが始まりです。救い主と出会ったわたしたちは、どう生きるべきなのでしょうか?一つには、福音の分ち合いが挙げられるでしょう。福音の恵みを受けたわたしたちが宣べ伝えなければ、福音は広がっていきません。私たちの信仰の旅は続いています。イエスさまと出会った私たちの信仰の旅が目指すところは、どこでしょうか?新しい年を迎えるこの時に、考えてみるのはいかがでしょうか?そして、ともに信仰の旅を続けていくことができればと思います。   〔牧師 細井留美〕 

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