2025年1月19日メッセージ「すべての義を全うする」マタイによる福音書3章13~17節

人生には説明が必要な出来事が数多くあります。しかし、それがどれほど説明されても、私たちを完全に納得させたり満足させたりするとは限りません。マタイ福音書3章13〜17節で、イエスがヨハネからバプテスマを受ける場面もまた、説明が難しい出来事の一つです。ヨハネのバプテスマは、罪人が悔い改めを示し、神の赦しを求める象徴でした。それでは、罪のないイエスがなぜバプテスマを受けたのでしょうか?
ヨハネ自身もこの問いに戸惑い、「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに」と述べています。しかしイエスは、「正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」と答えました。この「正しいこと」とは、神の御心を行い、人々と共に歩むという深い信仰の在り方を指しています。イエスはバプテスマを受けることで、罪人たちと同じ列に並び、弱さや痛みを共に担う道を選ばれました。それこそがイエスにとっての「義」でした。
この出来事を通して、イエスが私たちと共におられるお方であることが示されています。彼は力を誇るのではなく、むしろ小さき者、痛みを抱える者のそばに立ち、彼らを愛し、支える存在として現れました。この姿勢こそが、私たちに希望を与えるものです。私たちの日常生活においても、説明できない困難や試練に直面することがあります。そのような時、イエスが示された「義」を思い起こしましょう。彼はどのような状況でも私たちを見捨てることなく、共に歩んでくださるお方です。この2025年という新しい年、どのような困難があったとしても、イエスと共に歩むことで、私たちは希望を見いだし、前に進むことができるのです。[宣教師 郭 修岩〕

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