イエスの死に対して、マリヤはすでに主イエスを失った深い悲しみ、喪失感に満たされ、涙を流そうとしていたのです。さらに、墓は開かれ、主イエスの遺体が無くなったことを見た彼女の心は騒ぎ出し、走って行ったのです。何のために、どこを目指して走るのかを見定めて走り出すのではありません。しかし走っていく中で、復活して生きておられる主イエスが私たちに出会って下さいます。その出会いによってこそ、何のために、どこを目指して走ればよいのかが示されるのです。
14節には「振り向く」と訳されているストレフォーは、まず空間的に向きを変える、振り向くことです。さらに心の向きを変えることでもあります。「振り向く」とは、180度の方向転換をすることであり、これまで確かだと見ていた方向から全く見ていなかった反対方向へと心の向きを変えることです。まさに心を入れ替え、悔い改めて神に立ち返ることです。主イエスが「マリア」と語りかけると彼女は振り向いた、と16節にあります。マリアが振り向いたことにヨハネ福音書は、彼女の悔い改めを見ているのです。主イエスが自分の名前を呼んで出会って下さることによってこそ、私たちは心の向きを180度変えることができる、悔い改めて主イエスを信じることができるのです。そのお方のみ声を聞いて主イエスの方向に振り向くなら、生きておられる主イエスが私たちと出会って下さいます。 [郭 修岩]