5章の始めの所におけるシモンの姿は日々の生業を大事にして神の言葉を聞きに行こうと思っていないということです。ところが、3節を読むとイエスが、水際にあった彼の舟に乗り込んで来られました。イエス・キリストという方はそんなふうに自ら主動的に私たちの人生に乗り込んで来られます。シモンは自分の舟に乗り込んで来たイエスによって、神の言葉を聞くことができました。そして、この方の言うことなら、漁師としての体験や常識に反することでも、その通りにしてみようか、と思うようになったのです。そのように歩み出すことによって、人生に新しいことが起って来るのです。
イエスの言葉に従って歩み出したシモンは、奇跡の大漁を体験しましたが、しかし、シモンは、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言ったのです。彼はこの大漁を喜んだのではなくて、むしろ恐れたのです。恐れを持っているシモンに、主イエスは「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と語られました。彼は舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従いました。彼が捨てたのは、自分の力で歩み、自分の才能や努力によって少しでも沢山魚を取り、そのようにして自分で人生を築いて行こうとしている自分です。彼はそのような古い自分を捨て、まことの主であるイエス・キリストの赦しと恵みの中で生かされ、用いられて生きる新しい自分を与えられたのです。受難を迎えていた主イエス・キリストが、皆さんお一人お一人と、そのために出会おうとしておられます。 〔宣教師 郭 修岩〕