メッセージ

2025年8月17日メッセージ「絶望に陥ったとしても」ルツ記1章1~22節

 ルツ記は、士師の時代の飢饉から始まります。ベツレヘムを離れモアブに移住したエリメレク一家は、夫と二人の息子を失い、妻ナオミはすべてを失いました。深い悲しみの中、彼女は自らを「マラ(苦い)」と呼び、故郷に帰る決意をします。
 彼女の二人の嫁のうち、ルツはナオミを深く愛し、「あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神」と宣言して、血のつながりを超えた忠実さを示しました。ベツレヘムに戻ったナオミは、人々の声に「私を『ナオミ』(快い)ではなく『マラ』(苦い)と呼んでください」と答えます。夫も息子も失った彼女は、自分は空っぽになったと感じていました。この嘆きは、神への不満を正直にぶつけたヨブの姿と重なります。しかし、彼女の隣にはルツという存在がいました。ナオミには見えなかったもの――それは神が備えられた恵みでした。空っぽに見えた人生にも、神の愛は静かに寄り添っていたのです。
 このルツとナオミの関係は、私たちと主イエス・キリストの関係を映し出しています。ルツがナオミに寄り添ったように、主イエスも「世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と約束され、私たちの喜びも悲しみも背負ってくださいます。
 物語は「大麦の刈り入れの始まるころ」で結ばれます。これは、絶望の中にも神の新しい祝福が始まる合図でした。私たちも人生で絶望を経験しますが、神の恵みは必ず届きます。ナオミにはルツが、私たちには主イエスが与えられています。私たちは決して一人ではありません。与えられた恵みに目を開き、主に信頼して歩みましょう。〔宣教師 郭 修岩〕 

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