2022年5月8日メッセージ「罪に死に、キリストの生きる」ローマの信徒への手紙6章1~14節

「バプテスマクラスはまるで、親と子どもが手を繋ぐことに似ています。子どもが手を離しても、親は手を握っています。神さまと私の関係も同じです。安心して主の導きを祈りましょう。

パウロの「罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれます」(5:20)という主張に対して、敵対者は「恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべき」と言います。パウロは「決してそうではない」と答えます。第一に、8節に「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます」とあります。キリストと共に死んだのは、過去の1回限りのことで、キリストの死によって、私たちは罪から解放されました。第二に、11節に「キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きている」とあります。パウロは7:25節に「肉では罪の法則に仕えている」と嘆いていますが、8:1でキリストに結ばれているなら、罪から解放されました。言い換えれば、罪に対して死んだが、神に対して生きています。第三に、14節に「あなたがたは律法の下ではなく、恵みの下にいるのです」とあります。「律法の下ではなく」とは、7:6節に「律法から解放されてい」ることを意味します。そして、「恵みの下にいる」とは、「”霊”に従う新しい生き方」を現しています。

東京北教会は赤羽から上十条に移って来ました。これまでの赤羽での伝道があったからこそ、上十条での伝道に繋がっていると思います。新来者が来ています。ここで福音伝道に励み、多種多様な人々と共に生きていきましょう。                             〔魯 孝錬〕

関連記事