ベタニアに、マルタ、マリア、ラザロという家族が住んでいました。3人はイエスさまの支援者あるいは弟子でしょう。イエスさまが離れた場所にいた時、ラザロが病気になります。イエスさまがベタニアに到着した時、ラザロは墓に葬られて、すでに4日がたっていました。出迎えたマリアがイエスさまに言います。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。」
そんなマルタにイエスさまは「あなたの兄弟は復活する」と言われます。マルタはそれを終末の死者の甦りだと理解しますが、イエスさまは、ラザロは「今」復活すると言われたのです。イエスさまはさらに言われます。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じるものは、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも決して死ぬことはない。このことを信じるか」。イエスさまは、死んだ者が終末に復活するという先の希望を語っているのではなく、愛する家族を失い、悲しみと絶望の中にいるマルタに希望を語ったです。悲しみと絶望のために、心が死んでいるマルタよ、私に信頼しなさい。そうすれば、あなたの心は再び生きる。そして、わたしに信頼するならば、あなたの心は再び絶望することはない。イエスさまがラザロを甦らせることは、この言葉の証明なのです。
「復活」は、単に終末の希望なのではなく、今を生きる私たちの力となるものです。ラザロの復活、イエスさまの復活は、死を命へと変えた方が、私たちの悲しみ、苦しみ、絶望をそのままでは終わらせない、そこから新たな道を示し、わたしたちに立ち上がる力、生きる力を与えてくださることを示しています。 〔細井留美〕