2021年11月28日「苦難と慰めと祈り」 コリントの信徒への手紙二 1章3~11節

アドベントに入りました。イエス様のお誕生をともに喜びお祝いするクリスマスに向けて一日一日を大切に 感謝しつつ静かに祈っていきたいと思います。また今日から「世界バプテスト祈祷週間」が始まります。この働きを通して連帯し、アジア・世界に出会いが 与えられ豊かな信仰のあゆみへと開かれ、霊的な力になって行くこと願います。しかし女性連合も高齢化と財政課題を抱えています。全国の教会、連盟と同じく、この試練をともに乗り越えていく知恵と忍耐道が与えられますよう お祈りいただければ感謝です。
パウロは、まさに命の危機、絶望の底を味わい続けました。そして神に頼るしかないということを確信していきました。苦しみの中で、あらためて 深い深い 神の慰めにいつも包まれていることを感じたのでしょう。「慰め」は神からのものです。それは、いつでも、どこでも、どこまでも、私たちを追いかけて包み込んでくれます。 その「慰め主」が、今日も今も、私たちの傍らにぴったりと寄り添い、包み込んで下さっているのです。その根拠は、何よりもまず神ご自身がキリストの受難をもって、最も低みにおいて、最も厳しい苦しみを味わい続けておられるからです。ですから神は、苦しむ人々を放ってはおかれません。苦難と同時に、慰めが満ちるのです。
パウロはどれほどコリント教会を思って祈り続けたことでしょうか。そしてコリント教会に願います「祈ってください」。なぜなら神の慰めは、とりなしの祈りの内に隣人を通して表されるからです。神の使徒として労苦する教会がとりなし祈りあえることは、恵み、感謝です。祈りと感謝で支え合うところに、神の豊かな愛と慰めが満ち溢れ、この先へと道が開かれ広げられ繋げられていきます。苦難の中で神の慰めをくり返し深く味わいつつ、教会は真に地域に開かれて、孤独や不安で傷むあらゆる人々を包み込む「慰めの居場所」とならせていただけるのではないでしょうか。〔米本裕見子〕   

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