40日間断食し空腹をおぼえられたところで、悪魔がイエスに言われます。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ」。しかし、イエスさまは答えます。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある」。これは申命記8:3からの引用です。パンは生きる上で欠かせないものです。しかし、パンだけでは生きられないのです。「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」とは、申命記の文脈から考えて、神の戒め(十戒)に従って生きることを示しています。イエスは石をパンに変えて、自分の空腹を満たしたらどうだというサタンに対して、神の戒めにしたがって生きる時、共同体全体が不自由なくパンを食べることのできる社会が形作られると答えられたのです。
最後の誘惑で、悪魔はイエスを非常に高い山に連れていき、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみな与えよう」言います。
この世の豊かさ、栄華を手に入ることは、私たちにとっても大きな誘惑です。しかし、イエスは悪魔に言われます。「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある」。申命記6:13の言葉です。「あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神を決して忘れないよう注意しなさい」(申命記6:12)の言葉が重要です。エジプトでは、神ならざる者、ファラオに人々がひれ伏していました。神でないものにひれ伏しても、人は苦しめられるだけであることをイスラエルの人々は経験したのです。お金や権力にひれ伏す社会も一緒です。
バプテスマの直後に、イエスが荒れ野に導かれて、悪魔の誘惑を受けることを通して、神のみ言葉に従うことの大切さを私たちに示されたことは、とても意味のあることなのです。〔細井留美〕